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永井孝尚 著『戦略プロフェッショナルの心得―ビジネスの現場で、理論だけの戦略が実行できない理由』は、おもにマーケティングを主戦場として、戦略を立案、それに終わるのではなく遂行していくために役立てるべき思考法を示すものだ。
では、「戦略プロフェッショナル」とはなにか? 著者はこのように定義している。
戦略プロフェッショナルは、リーダーと同じ視点で、リーダーを支援し、全体の状況を把握し、戦略の勘所を押さえ、関係各部門と調整しつつ戦略を策定し、実施する役割を担っています。
これは、ビジネスを遂行していく際に、リーダーが求めて止まないもっとも重要な片腕、参謀を意味している。決して狭い職能的マーケターを指すものではない、新たな職能概念の誕生を感じさせるものだ。
さて、擬似的にマーケティングに携わる人々にとっての書とすると、本書はどのような特性を持つだろう?
「市場と顧客の理解」から始まり、「製品の開発」、「価格の設定」、「セールス活動との連携」、「市場とのコミュニケーション」という章立てを眺めれば、それは実にオーソドックスなマーケティング入門書たるたたずまいである。これを縦糸と見なすなら、同時に横糸として、「戦略を構築する」や「検証し、改善を図るために」といった、どちらかと言えば、“物事の考え方(フレームワーク)”を織り込んでいることがわかる。
まさに、本書名が“心得”であるゆえんだろう。
実は、評者は長年、マーケティングとセールスとの境界線について、名答を得ずに来たが、本書は素晴らしい切れ味を示す。
例えばセールスは、「具体的にこのようなことで困っているんだ」という顧客に対して、現実的で具体的な課題解決をその場で提示することが求められています。現実の問題で困っている顧客に対して、将来的な抽象論を述べても、あまり意味はありません。……
一方で、マーケティングの相手は、市場(マーケット)であり、時間軸の中心は未来です。現在の問題も考慮しつつも、それだけに拘らず、来期・来年、顧客に価値を届ける仕組みを作るために何をすべきかを考えます。……
また、本書は新たな時代の動きにも鋭敏だ。
たとえば、ウェブ時代の“広告”の変化についてこう語っている。
広告は、インターネット上のコンテンツ連動型広告のように広告であることを意識させずに購買行動に繋げるタイプのものと、高度に洗練された美しさを追求することでブランド認知を獲得するタイプのものに分かれていく。
目から鱗の記述は、取り上げれば枚挙のいとまがないが、そこに通底するのは骨太な戦略的思考である。その証拠に、著者は繰り返し、次のように述べている。
新しい時代を見据える、経験に培われた原則的視点。それこそ著者が示す戦略プロフェッショナルの姿そのものなのである。変化の激しい時代こそ、基本が大切。
今までに経験から学んできた暗黙知が大きく役立ってきます。戦略やマーケティングの基本に則って、愚直に続けること。
※本稿は、ITmedia エグゼクティブに投稿したものの再掲載である。
凡庸、もしくは平凡であることは、ひとつの“力”となる。
輝かしい凡庸さというものが、この世には存在する。
12月30日の読売新聞スポーツ欄に掲載された、フィギュアスケートコーチのニコライ・モロゾフコーチのインタビューは、そんな感動を与える。
フィギュアスケートが、冬の“お茶の間の華”に定着して久しい。
私はTVを滅多に観ない生活をしているが、冬の、しかも土日の夕飯時に中継をされては、観ないわけにはいかない。
特に家人のほうは、男子、女子両方とも贔屓にしている選手がいるからなおさらだ。
しかし、人気と実力を兼ね備えた選手が輩出することで、アスリートの真剣な競技を扱うのが本来の使命であるTV中継が、まったく酷い。
人気と実力の両面でトップを走る浅田真央選手の扱いに至っては、中継に当たるアナウンサーやゲストらが、「真央」「真央ちゃん」の乱発。中継の演出もアスリートらの競技を冷静に扱うのではなく、まさにショーの世界に引きずり込むことだけに腐心する。
そんな中、モロゾフ氏の発言は的確だ。
「多くの日本選手を指導しているが、提言は。」との記者の問いに対して、こう答える。
(前略)日本は、選手をアイドル扱いし過ぎる。長い目で人間として成長を見守る支援体制があるべきだ。
我が意を得たり、とはこのことだ。本当にフツーのことを語っているだけではあるが、いま旬を迎えているフィギュアスケート“業界”に身を置く人としては、言いやすい言葉ではない。誠実で、実力のある人という印象を深めた。
同氏は同じインタビューの中の随所で、常識的だが、本当に重要な指摘をいくつもしている。
(今季復活を遂げた村主章枝選手に対して)何も変える必要はない。あなたは過去何度も世界選手権に出て、素晴しい滑りをした。自分の中にある以前の滑りを引き出せと言った。……私は、世界選手権に行きたいなら、完璧な演技をして、他がミスをするのを待てと教えた。
厳しく回転不足を取る今季の規則は、高難度に挑む選手を罰し、競技の未来のためにならない。(浅田選手も安藤選手にしても)回転不足で大幅減点され、跳ばない方がマシというのは理不尽だ。……
繰り返すが、同氏が語るのはわかりやすいことばかり。決して“玄人”受けすることを言ってはいない。
しかし、このようなまっとうな発言が、ショー化し過ぎた日本のフィギュアスケート界には重要なインパクトを与えると思えてならない。
例年、年末年始のこのころ、真剣に取り組んでいることがある。
当たり前のことだが、それは大掃除である。(笑)
冗談を言うつもりはない。
自室の大掃除、もっと言えば掃除と言うよりも、不要物の廃棄、整理整頓を実施すると、クリエイティブな気分が喚起されることに気づいたからだ。
もう少し詳細に表現するなら、クリエイティブな気分と高揚感が生じる。
なにか、クリエイティブなことができそうな気分になるのである。
特に机上、もしくは机周辺は重要だ。
机上を整理することの重要性を語る人は多い。
元トリンプ・インターナショナル・ジャパン代表の吉村浩一郎氏の近著『仕事が速くなる プロの整理術』でも、その帯に「机をスッキリ! 頭もスッキリ!」とある。
もちろん、「頭もスッキリ!」は単なる錯覚かもしれない。
しかし、そもそもクリエイティブな仕事とは、精神的なものによるところが大きいはず。
その“精神”が高揚し、前向きになっていることは重要だろう。
美しいとか高級家具があるわけでもないので、自室の全面公開は避けるが、部分的に。
上記左の写真が、机に向かって座った際の正面の図。
いまはiPhone、大型ディスプレイ、ノートPC(MacBook Pro)、そして外付けキーボードぐらいしか机上にない。いー気持!
少し脱線だが、最近、このMacBook ProのためにGriffin Elevator Laptop Stand(要するに本体を机上から浮かすためのスタンドだ)と、併せてApple Keyboardを購入した。
Laptopスタンド購入の目的は、MacBook Pro内蔵ディスプレイとCinemaディスプレイの高さを揃えて見やすくすること。
目標はそれなりに満足している。二つのディスプレイの間で、視線の無駄な動きが減ったと思う。
さらに、期待していなかったことで大いに満足しているのが、机上の整理整頓効果だ。
見ての通り、ディスプレイとPCがともに浮き上がっている分、そこにスキャナや今回購入したキーボードを押し込める。
さらに脱線だが、右上の写真は、デスクに向かって左手を写したものだ。
デスク脇に安い書棚を配置し、デスクと書棚の間に生じたデッドスペースに、小さなスチール製ワゴンを置いた。
書棚とは言え、本は置かず封筒に入れた書類等を時系列に置く。ご存知、野口悠紀雄氏の「超」整理法だ。
また、デスク脇のワゴンには、時々しか使わないノートPC(Windowsマシンや旧MacBookなど)と書籍、そして各種ケーブルなど小物を配置する。
本格的な書棚は別室にある。このワゴン上には、“読みたい”“読まなくては”というホットな状態の書籍を“寝かし積み”する。
さらに、読みかけの本だけ立てておき、目立たせる。
こんなことを延々と書くのは、机上のディスプレイとPCを中心にして放射状に、自分の生産性に関わる重要なゾーンが広がっていると感じているからだ。私にとっては、ささやかだが重要な認識である。
以下のように考えている。
デスクに向かい着席した状態で、正面方向180°ぐらい、かつ、手を伸ばせば届く空間が、ホットゾーン。
背後で、イスを滑らせると手が届く場所が、ウォームゾーン。
そして席を立ち歩いてリーチするような空間は、コールドゾーンだ。
本稿をポストしてしばらくして思い出した。旧ATTを率いた米国きっての名経営者と言われる、ハロルド ジェニーンは主著『プロフェッショナルマネジャー 58四半期連続増益の男』でこう書いた。
確かにジェニーンの表現は、“悠長な”MBA上がりのエグゼクティブを黙らせる迫力がある。多年にわたる私の経験からいって、机の上になにも出ていない、きれいな机の主は、ビジネスの現場から隔離されて、それを他のだれかにかわって運営してもらっているのだ。もちろん、たいていの場合、本人はそう思っていない。彼は会社の長期戦略を練っているのだ。経営を受け持っているのは社長で、その机の上にはさまざまの報告書や社内メモ類が山をなしている。もし社長の机の上もきれいなら、きっと執行副社長が一人で背負いこんでいるのだ。いずれにしろ、トップ・マネジメントのだれかが会社を運営しているはずだ。
……中略……
電話がかかってきたり、忙しさを縫って会議に出ようというような時、必要な情報がすぐに手にできなくてはならないからだ。だから、それは机の上になくてはならない。ほかにしようがないのだ。秘書を呼んで、一通の報告書と二つのメモを、あれとあれだと説明をして出させるなどという悠長なことはしていられない。腕を伸ばせば届く、そこにあるようにしておきたいのだ。
さて、とは言っても、机の上の書類の山を自分が支配しているか、そうでないかは大きな違いだ。ジェニーンは自らが支配している。そう言いたいのだろう。
同著を長く引用するのは避けるが、ジェニーンが手許に置いた書類、常に持ち歩けるようにしている書類の量はすさまじい。
それだけの種類の情報を、自らの配下に手なずけることができるかどうか、経営者の器量に鋭く関わる点だろう。
2008年も残すところ数日となった、28日。
以前知人から聞いて知ったあきる野市、要するに秋川渓谷沿いに位置する炉端焼き料理の黒茶屋に向かった。
寒い時期なので、昼食時にコース料理を頂こうというちょっと贅沢な趣向だ。
当方の住み処からは、直線距離では近いものの、西武線、JR八高線、そしてJR五日市線を乗り継ぎ、かつ、現地では徒歩片道30分と、計約1時間そこそこの遠出となった。
(地図はここ↓)
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例年は、年末休暇に入るといつも今ごろ、東京に出かけ、上野やら神楽坂を徘徊するのが習わしだが、今年は良い料理家と推奨されたところに行ってみようということになった。
休日の23日にも、実は近場の福生に出てテキサス・メキシコ料理を楽しんだが、今回は純和風路線だ。
年内最後の外食、家族孝行となる。
JR武蔵五日市駅(ここは、JR五日市線の終点/始点でもある)で下車して、檜原街道を歩くこと約30分で、めざす黒茶屋に到達する。
道のりはあるものの、山沿い・川沿いの街道の両側に集落が長く伸び、そこには旧家も多い。立派な蔵づくりや大きな木造見地が点在するなかなかの景観地域で、徒歩でも飽きさせない。
さて、食事。料理はオーソドックスな純和風懐石のコースに、炭火焼きをメインに構成したもの。
凝ってはいないが、どれもおいしい。
川魚と和牛のメイン料理は、寒い時期にぴったりの良い選択だった。
コース料理を頂く部屋は、この地の奥に位置する旧檜原村の旧家を曳き家してきたもので、すでにこの地で数十年経過しているという。
重厚な離れ形式で、個室に仕立ててある。落ち着いた雰囲気で庭園と食事を満喫できる。
昼食を追えるころには、さすがに山間。早くも陽が傾いている。少しだけ早足で家路に着いた。
Nikkei Netの記事から。
「製造業、人員になお過剰感 自動車、『10万人超』の可能性も」。また、「景気「急速に悪化」86%、設備や人員「余剰」4割 」とも。
いずれも、嘆息しか出ない。“不況ムード”一辺倒である。
特に、後者の経営者らの景況感をグラフにしたものを見てほしい。ほぼ100%が「悪化」と見なし、折れ線グラフがほぼ垂直に“落下”している。
まさに落下である。不況波の衝撃度と、それが“予想外”のスピードで、津波のようにやって来た感覚が見て取れる。
NIKKEI NET(日経ネット): 景気「急速に悪化」86%、設備や人員「余剰」4割 via kwout
最も読まれている経済紙がこの調子では、シロートの私が何を言おうが世間には影響はない。例えば、下記のような論説は、やや強すぎるオピニオン臭があるものの、貴重だ。
韓国のメジャーな新聞のひとつ「東亜日報」。その日本語版Webサイトから。
以下に少し抜き書きをしておく。
政府で進めているインフラ事業も雇用創出のために重要である。4河川整備事業に対する批判もあるが、大規模なインフラ事業は雇用を作り、景気浮揚の効果を 生むのは、歴史的に過去の経験から証明済みだ。教育や医療、観光、流通のようなサービス産業分野でも、競争力を高め、想像力を発揮すれば、質の高い雇用を多く創出することができる。デンマークのような国では、寄付文化が活性化され、非政府組織(NGO)の分野では15%程度の雇用人材が創出されている。韓国もそのためには寄付文化を活性化し、NGOの透明性と信頼度を高める必要がある。
特に、「教育や医療、観光、流通のようなサービス産業分野でも、競争力を高め、想像力を発揮すれば、質の高い雇用を多く創出」できるというくだりには、強く共感する。政府の施策からか、極端な円安を享受してきた輸出型製造業。このセクターにおけるどんでん返しに、われわれがそろって嘆息しているのは、モラルハザードというものだ。
わが国の主要産業は、すでにサービス産業へと移行している。まさに、「教育や医療、観光、流通」などである。
このサービス産業セクタが、より一層競争力、センスを高め、最終的には生産性を高めること。
これが大きな戦略の柱となるべきだ。
いま、期せずしてそうすべき波が、まさに津波として到来しているのだと思う。
この年末年始の休暇は、大切にしようと考えている。
昨年から、会社で仕事をしている時のように、アクティビティ(“仕事”だけではないので、こう呼んでみる)を、あらかじめなるべく詳細にわたりスケジュール化する。
また、ToDoは早くから「年末年始のToDo」という専用リストをRemember The Milk上に設けて、計画を始めた。
そして、はたと気がついた。計画倒れ。
盛り上がって計画し過ぎた結果、これが実現できない懸念が脳裡をよぎる。
やはり、反省、振り返りを設けないと。それも1日単位、つまり毎日振り返るのが良い。
そう思う。で、それはいつ?
反省は、どんなタイミングにそれを行うのが有効だろう?
それぞれの行いにあまりにとらわれているとき、良い反省はしにくい気がする。
くよくよしたり、逆にかっかとしてしまうのも良くない。客観的にならなければ。
他方、1日の緊張から解き放たれてしまっていると、もう反省する気が起きない気もする。
寝る前、あるいは布団に入った折りに、1日を振り返り、そして明日に向けた段取りをする気になるだろうか?
ともかく、この休暇期間中は、1日1投稿、ブログを書くということを守りたい。
1日を振り返り、自分と結んだ約束の数々を着実に実現しなければ。
今から気を揉んでいるところ。
クリスマスには終わってしまうとのことで、大慌てで行ってきた。
アンドリュー・ワイエス展。
自分でも興味深く思うのは、最近になって読書ソースが広がってきたことだ。
これはやや予想外の出来事だ。だんだん“読書”などに振り向ける時間は減るものだと思い込んでいた。
そうではないらしい。読むべき対象が広がるとは。
これまでは、書籍、Webコンテンツ(RSS経由で読むことが多い)、そして雑誌・新聞といったものが、自身の主たる読書ソースだった。ついでに言えば、“読書”の語感からは遠いが、Podcastコンテンツに対しても多少の時間を割いてきた。
iPhoneを常用するようになり、iTunes Storeで購入できるオーディオブックがソースとして、まず加わった。
ビジネス(啓発もの)から、古典までそれなりのラインナップが挙がっている。
そうこうしている内に、Webではすでに定着した「青空文庫」のiPhone用クライアント「soRa」(有料アプリ)が登場した。
これを購入して以降、古典作品を毎日のようにダウンロード、ヒマさえあれば読むことが多くなっている。
思わず「合掌!」と、口に出して言いたくなったので、取り上げておく。
遠ざかってずい分になるが、ザウルスは、私を夢中にさせた電子デバイスの走りだ。
少し補正すると、まずザウルスに先立つPDA元祖的製品、まさに「電子手帳」のシャープ電子手帳 PA-8500があった。
スロットに挿す電子辞書カードを購入した記憶がある。
そしてザウルス時代がやってきた。
ザウルスの全般的情報については、Wikipediaがずい分詳しい。
これらで記憶を再構成すると、私が所有していたのは「液晶ペンコム」PI-3000およびPI-4500辺りのようだ。
後者では、純正外付けモデムが売られ、FAXやパソコン通信を利用できるようになったと記憶する。
PDAの草分け「ザウルス」生産停止、高機能携帯に押され : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout
PI-3000は1993年という記述がある。それは、あるIT系の出版社に務めている時期に当たっている。
最初はソフトウェア製品のマーケティングで、その後は、同社で編集部門でPC関連の月刊誌などに携わるようになった。
この時期は、Windowsの急激な普及で、各種のソフトウェアやデバイスが進化していた。
ザウルスのPC連携機能が徐々に食い足りなくなる一方、たびたびの米国出張で見かけていたPalm Pilotに関心が傾く。
むろん、ザウルスに比べれば、日本語手書き認識能力では遙かに劣るPalmだったが、クレードルにおいてボタンを押せばPCとのデータ同期が完成する、スタイラスペンによる手軽なグラフィティ(手書き認識)が圧倒的にスマートで、その後、数代にわたるPalm信徒へとくら替えすることになった……。
いやあ、このように改めて振り返ると、
とまあ、途中にブランクはあるものの、けっこうなガジェット好きである自分を再認識。
思えば遠くまで来たものだ。
まだまだ続くだろうこの悪癖の、出発点に存在するシャープ製電子手帳とザウルス。
改めて黙祷を捧げよう。