20世紀初め、労働力人口の90%から95%は肉体労働者だった。農民、家事使用人、工場や建設現場の単純労働者だった。
彼らの平均寿命、特に労働寿命は、当時年寄りとされていた50歳に達するころには、ほとんど働けなくなるほどに短かった。——P. F. ドラッカー
100歳を超す超高齢者の“連続失踪”事件が、マスコミを騒がせている。
最高齢者も確認せず…川崎など8自治体 (読売新聞)
住民票 家族が変更拒否も 高齢者所在確認に壁 (東京新聞)
【所在不明高齢者】新たに春日部でも100歳男性が不明 (産経新聞)
全国で所在不明100歳以上高齢者34人 (日刊スポーツ)
関連の記事はまだまだ多い。
大事件勃発、というわけではないが、しかし、多くの人びとのどこか琴線に触れている点が、数々の関連情報を呼び込んでいる感がある。
総合すれば、人びとが抱いた関心は、下記のようなものと見ることができる。
少し冷静さを取り戻しながら“事件”を考えてみよう。
100歳を超えるご老人たちは、“高齢者国家=日本”の象徴たる人々である。
また、これらの人々は、個々人の保有資産の多寡という視点を除けば、社会的弱者(他の介助者を必要とする存在)と見なすことができる。
総合すれば、人びとが抱いた関心は、下記のようなものと見ることができる。
- どうして、“行方不明”が長く露見しなかったのか?
- 周囲や家族は、老人をどう扱っていたのか?
- 近隣や自治体の無関心や怠慢にに問題があるのではないか?
- 社会保険費用がムダ、もしくは詐取されていたのではないか?
少し冷静さを取り戻しながら“事件”を考えてみよう。
100歳を超えるご老人たちは、“高齢者国家=日本”の象徴たる人々である。
また、これらの人々は、個々人の保有資産の多寡という視点を除けば、社会的弱者(他の介助者を必要とする存在)と見なすことができる。
すると、これらの人間が十分に周囲からもてなされ、介助されていないのではないかという懸念の共通意識に突き当たる。単刀直入に言えば、これら超高齢者に“不幸”な暮らしを強いているらしいことが、多くの事件観察者を苛立たせているのである。
しかし、事件の主体(=被害者)を超高齢者とするならば、その介助者たる肉親の多くもまた、後期高齢者(75歳以上)であり、彼らもまた社会的弱者という枠に属していると想定できる。さらに、ことを重く認識させている点は、高齢者の独居傾向の増大という現象だ。
改めて整理すると、私を含め多くの傍観者が関心を払っている事件を成り立たせている図式には、
- 超高齢者を介助する親族もまた後期高齢者に属しており、十分な介助を得にくくなっていること
- 加えて、肉親からも近隣からも分離しやすい独居生活スタイルが浸透していること(ブログ「Garbagenews.com」の記事「『お年寄りがいる家』のうち1/4・414万世帯は『一人きり』」を参照されたい)
以上は、事件の当事者たちが一様に、十分な介助という経済物理的な保護を得にくい生活環境下にあるという文脈理解を導く。
もう一つ、多くの観察者たちの琴線に触れる問題意識がある。
それは、弱者を放置する(家族を含む)周囲の“無関心”があるという視点である。
この点では、家族や近隣の無関心をある程度、避けられない現象と受け止めるとすると、矛先は国(たとえば年金機構)や自治体へと向けられるのである。
下記のブログ投稿は、ある意味で多くの観察者たちに共通する苛立ちを伝える。
いろんな見方があるだろうが、基本はやはり「社会の箍が外れてしまっている」としかいいようがない。みな自由や個人主義を求めてきて、「うっとうしい」と感じていたものがなくなることの代償は大きいようだ。「長寿国のデータは嘘かもしれない。」「子供が虐待されていても押し入ることもできないで命を守れない。」という情けない状況はその一端に過ぎない。「社会の箍が緩む」ことで、噴出してきたものは、思いがけない現象である。それは日本人の精神面に大きな影響を与えているように思う。潜在的に持っている病症が、箍が緩むことで病気となり、障害となって多くの人を蝕むようになる。(ブログ・業界人間ベム「社会の箍(タガ)」より)
あらかじめ断っておくと、本稿で上に掲げたブログ投稿者やそのオピニオンを論難しようとしているわけではない。
もし、論点が批判がましく響いたとすればそれは私の表現力不足からである。ご容赦願いたい。
さて、私は一連の超高齢者諸氏の“連続失踪”事件を、「社会のタガのゆるみ」「システムのほころび」といった視点で語ることに慎重だ。現象をあるべき姿からの退行と見なせば、結局、社会を慨嘆するモードが力を得るばかりである。
私には、この事件の背景には、私たちの社会が、さらに言えば、人類が新たな段階に直面しはじめていることの衝撃波があるのだと思える。
なにが決定的に新しい段階なのか。
ヒトが産み落とされ、自ら生きるとともに社会(近隣や家族)へ貢献し、遂にはその能力を衰えさせながら消滅するというサイクル。
この古典的なサイクルが、老人たちが死なないことによって崩れはじめているのではないか。
目に触れた資料によれば、私たちの社会にあっては、100年前に比しても平均寿命が40歳台から80歳台へとほぼ倍に延伸しているのである。
現代の平均生涯労働年数を、大卒から平均的な定年時までと見なせば、約40年を大きく超えないだろう。
とすれば、労働年数とほぼ同等期間を明示的な労働に従事せずに過ごすのである。
社会的労働に従事しない約40年。この重さに本人、家族、地域近隣、そして社会が耐えきれず思わずきしみを挙げているのである。
ところで、ここに「姥捨て」伝説を題材とする作品「楢山節考」の視点を投げ入れてみようと思う。
おりんとは、信州のある寒村に暮らす70歳になろうとする老女である。
辰平は、その息子である。
おりんが暮らす山間の村では、70歳を迎えた老人は一人前の働き手としての価値を失い、「楢山まいり」と称して山に捨てられるのが習わしである。労働力でなくなった老人の食い扶持は生産力の乏しい寒村では重荷以外の何ものでもないのである。
おりんのぎっしり揃っている歯はいかにも食うことには退けをとらないようであり、何でも食べられるというように思われるので、食料の乏しいこの村では恥ずかしいことであった。
楢山まいりに行くときは辰平のしょう背板に乗って、歯も抜けたきれいな年寄りになって行きたかった。そこで、こっそりと歯の抜けるように火打石で叩いてこわそうとしていたのである。
深沢七郎 『楢山節考』
おりんとは、信州のある寒村に暮らす70歳になろうとする老女である。
辰平は、その息子である。
おりんが暮らす山間の村では、70歳を迎えた老人は一人前の働き手としての価値を失い、「楢山まいり」と称して山に捨てられるのが習わしである。労働力でなくなった老人の食い扶持は生産力の乏しい寒村では重荷以外の何ものでもないのである。
おりんは働き者で頑強、家族の幸せを祈りつつ気働きをする一方、人一倍丈夫である自分を恥じ、美しい老人として死にたいと気を揉むのである……。
山村という共同体が、家々に代わって定期的に非生産者を間引いてくれる。胎児や産後の幼児を計画的に間引くように、極小社会にあっては「生かす」にも「殺す」にも個人の恣意を許さないメカニズムがあるというのだ。
それを背景に、『楢山節考』は、おりんの物語を悲しみのあるユートピアとして描き出す。
なぜそれは「ユートピア」の物語なのか。
それは、気丈夫なおりんが自ら山村を離れて消滅するという明瞭な意志力を示していることによる。
その意志は、村落共同体の見えざる意志そのままを生き(死に)ている。
と同時に、その見えざる意志を違えて生きる選択をしてしまうことも同じくらい確からしく暗示しているからである。
老人が(言い換えれば、社会的弱者が)生き続けることも、あるいは、自ら消滅の選択をとることも自在であるような社会。実は深沢七郎の作品はそのぎりぎり一歩手前までを予感させている点で、ユートピア的なのである。
さて、私たちの時代の連続失踪事件に立ち返ろう。
私たちが本当の意味で苛立つのは、この「老人が生き続けることも、あるいは、自ら消滅の選択をとることも自在である」ような社会イメージが、潮が引くように遠ざかっていくように感じているからではないか。
老人が生き続けられないという重さではなく、生き続けなければならないことの重荷。
それを老人自身の自在な選択として遇してあげられない困難が、いまこの社会にせり上がってきているのである。
あえてざらつく言葉を用いるなら、私たちの社会が非労働者として長く生き続ける人々を支え続け、そして、それを任意の選択として提供できるようになるには、もっともっと社会総体の生産力(財の産出力)を上げることからしか始まらない。私たちはひとしくその課題を背負っているのである。
死は〔特定の〕個人に対する類の冷酷な勝利のようにみえ、そして両者の統一に矛盾するようにみえる。しかし特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、そのようなものとして死をまぬがれないものなのである。(マルクス『経済学・哲学草稿』)
類が個をなぎたおすヘーゲル的理性の冷酷な勝利ではなく。個としての任意を可能な限り生き、そして類として死ぬ。
このような歴史的段階に至る道を、私たちは行きつ戻りつしつつゆっくりと歩んでいるのだと思う。
※ 2010/08/22 参考資料などを追加、その他文言の修正などを行った。