1. 詩的体験のはじまり
ひどく降りはじめた雨のなかを
おまえはただ遠くへ行こうとしていた
死のガードをもとめて
(鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」)
「詩」というコトバを思い浮かべようとすると、即座に想起されるのが鮎川信夫であり、作品「繋船ホテルの朝の歌」だ。
私にとり詩的体験とは、鮎川信夫から出発している。
そして、本作は、今もなお近代日本に成立した最大の詩的作品と、私には映っているのである。
むろん、小中高校の必ずいずれかで教えてくれるだろう高村光太郎、宮沢賢治、中原中也などにも詩的体験の片鱗は宿っている。
だが、それらにはどこかよそよそしい“与えられた体験”である側面が消えない。
ところが一方、鮎川の作品では、自分の気持ちが自分のコトバで表現する以上に、深く、高く表現されている、との想いが強い。
そして、それらに誘われるようにして鮎川の作品や、他の詩人たちの作品を少しずつ読み広げてきたのだった。
自分自身の気持ちの奥底の方と共鳴する表現——。
「詩的体験」というコトバを使うゆえんだ。
ところで、これから作品「繋船ホテルの朝の歌」について幼稚な作品鑑賞を試みてみようと思う。
これはずいぶんと長い間の自分の中に残されていた宿題に改めて取り組むための、小さな一歩。リハビリテーションのようなものである。
改めて、作品の冒頭句。
ひどく降りはじめた雨のなかを
おまえはただ遠くへ行こうとしていた
死のガードをもとめて
私たち読者は、冒頭の3行によって、さっそく詩の主題が「出発」、「出発意図」であることを告げられるのである。
引き続き、
なまぐさい夜風の街が
おれには港のように思えたのだ
船室の灯のひとつひとつを
可燐な魂のノスタルジアにともして
巨大な黒い影が波止場にうずくまっている
おれはずぶ濡れの悔恨をすてて
とおい航海に出よう
といった一連の表現。
「出発意図」が、「波止場」「海」「船」「航海」などの表現により、「旅」の喩的表現でイメージとして拡張されていく。
読者は、詩のタイトル「繋船ホテル」をも連想想起し、一挙に「航海への出立」という豊かなイメージを喚起させられるのである。
ところで、「繋船ホテル」とは何か。
戦後すぐには、廃船となったかつての客船を波止場につなぎ止め、船室を安宿の代わりに提供した事例があったのだろう。
それは敗戦直後の“なんでもあり”な時期を象徴するものである。
そして、それは同時に作品の隠された主題「試みては失敗する性的体験」のイメージを生みだす“連れ込み宿”(ラブホの原型?)を指し示しもしている。
作品に戻ろう。
次に、読者は、「出発」=「航海」というイメージに大きな転換を迫られる。
「繋船」の語に暗示されたように、「出発」は失敗する。
すなわち、船は決して出帆することがないのである。
おれたちの夜明けには
疾走する鋼鉄の船が
青い海の中に二人の運命をうかべているはずであった
ところがおれたちは
何処へも行きはしなかった
安ホテルの窓から
おれは明けがたの街にむかって唾をはいた
波止場につなぎ止められた船は、永遠に出帆しない。
そんなことは百も承知のはずなのに、作品の主人公「おれ」は挫折感に打ちのめされている。
船室から円い窓を覗けば、そこに青い海があるはずだったと。
どうしてこんなことになってしまったのか。
作品は、原因をではなく現象を示唆する。
おれたちはおれたちの神を
おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか
おまえはおれの責任について
おれはおまえの責任について考えている
2. 読む詩、考える詩とは
私たち読者には、「出発意図」の挫折、航海の不能という事態に際して、「神」と「責任」というキーワードが与えられる。
それはいったい何なのか——。
ところで、この作品を読むことで得られる認識がある。
鮎川ら敗戦後まもなく頭角を現した詩人たち、その作品に共通する特徴に、読む詩、考える詩という方向が挙げられる。
この作品でも、韻律(音数律や韻を踏む)のように、朗読によって得られる快感要素がほとんど考慮されていない。
その代わり、詩句、そしてその詩句を分かつ改行さえも、すべては作品が深いところで示そうとする意味の方向に向かって奉仕するように意図されている。
言い換えると、読者の詩的体験は、詩の“意味”と“背景”の方向へと向かうよう全面的に道が敷き詰められているのである。
これは私の詩的体験の出発点でもある。
私が本作に出会った際に受けた印象は、自分が当時被っていた気分を高い濃度で表明しているというものだった。
たぶん、自分の中では、その時すでに挫折感や倦怠感をどう表現すべきなのか、出口が探し求められていたのである。
そして、もうひとつ。
作品が、その背景に置いている社会的文脈、それに対する強い違和感に大きく揺さぶられた。これも大事な体験であった。
作品が誕生した時期に相応する社会的文脈とは、敗戦を経て「平和な日本」「戦後の復興」に向けた再出発の時といったものである。
改めて言おう。作品が示唆するのは、「出帆の不能」という事態である。
これを作品が後景に置く社会的文脈と重ね合わせると何が得られるか。
「国民総力戦」というスローガンから、「平和国家日本へ再出発」なるスローガンへと転換しようとする社会変動に対する、暗黙の違和感、挫折感を表明していると読むことができるのである。
鮎川に代表される戦後詩人の多くが、このような社会的文脈に対し深部で否定的な作品活動をなしていた。
作品が批評のコトバという外部の道具を用いず、詩のコトバを用いて深い社会批判を実現した時期だったとも言える。
「神」(戦争の完遂と、新たに復興するものへの信)と「責任」(旧い神、新たな神に従っている自分たちの罪)とは、社会的文脈に否定を投げつけるになんとふさわしい一対のコトバであることか。
付け加えて言えば、表現に共通するのは“暗さ”である。
社会の復興を目指す“明るさ”と対照をなす表現。
そのねじれた表現において、考える詩、社会批判としての詩が実現したのである。
3. 社会的文脈からの転換
ところで、詩が社会的文脈を含むと、どんなことが起きるだろうか。
読み手とその社会的文脈とが断絶してしまえば、作品が内包する深部を詩的体験として共有できなくなる。
多くの若い読者にとり、この敗戦直後の“明るさ”と“暗さ”を浮かび上がらせた作品の、社会批評的な核心を詩的体験として共有することは、もはや困難なのではないか。
事実、敗戦後すぐに姿を現した鮎川らを含む詩的結社「荒地」、そして関根弘、長谷川龍生ら「列島」などの詩的営為は、それが共有する社会的文脈が読者との間で断絶するに連れ、勢いや影響力を失っていった。
私(藤村)にとっても、敗戦期と自分自身が立っていた時代との間で社会的文脈を共有できる時期は遠く過ぎ去ってしまった。
だが、ここから先が大事なのだが、失われた社会的文脈と入れ替わるように、新たな核心が姿を現している。
換言すれば、第一の文脈が去り、隠されていた第二の文脈が、ようやく私たち読者の前に姿を見せているのである。
それはすでに示唆しているように、「隠された主題」=「試みては失敗する性的体験」なのだと思う。
読者は、「おれ」と「おまえ」という主語に沿って作品を通読すると、もうひとつの文脈に立ち会うことになる。
「おれ」が、ひとりただ「とおくへ」行こうとしていた「おまえ」を呼び止め性的交渉を行うことによって「おれたち」となり、そして夜明けには出帆しているはずだった——。
それが叶わなかったという、「挫折」(とその反芻)という主題、がそれである。
ひびわれた卵のなかの
なかば熟しかけた未来にむかって
おまえは愚劣な謎をふくんだ微笑を浮べてみせる
おれは憎悪のフォークを突き刺し
ブルジョア的な姦通事件の
あぶらぎった一皿を平げたような顔をする
出帆できなかった挫折感に苛まれながら「おまえ」との朝食の席につく「おれ」。
出帆の挫折は、「おれ」に「憎悪のフォーク」を突き刺すという行為を引き出すのだ。
わかるだろうか? 性的和合を果たせなかった怒りは、半ば「謎をふくんだ微笑を浮かべて」いる「おまえ」に向けられているのである。
「ただ遠くへ行こうとしていた」おまえ。それを引き留め一夜の性的交渉を果たそうとしたおれ。
その結果として「おれたち」の出帆は実現を果たすことはなかった。
これが第二の文脈による、詩的体験の核心である。
敗戦期の社会的文脈を喪失してもなお詩的体験を拡大し、その作品価値を永続化することは可能だと思う。
そのためには、作品の詩的体験を新たな文脈へと転換しなければならない。
それを果たすには、作品中で一言もコトバを発せず「謎をふくんだ微笑を浮かべて」いるおまえとは誰なのかを問わなければならない。いまはまだそのための準備が不足しているのだが。
私はいま、社会的文脈を失ってなお詩的体験の価値の拡大の可能性を信じている。
私のなかにある詩的体験を転換すること。
何十年かの時間を経て、ようやくその一歩目の扉を開けようとしているのだ。
(未確定稿)
[資料]
繋船ホテルの朝の歌
ひどく降りはじめた雨のなかを
おまえはただ遠くへ行こうとしていた
死のガードをもとめて
悲しみの街から遠ざかろうとしていた
おまえの濡れた肩を抱きしめたとき
なまぐさい夜風の街が
おれには港のように思えたのだ
船室の灯のひとつひとつを
可燐な魂のノスタルジアにともして
巨大な黒い影が波止場にうずくまっている
おれはずぶ濡れの悔恨をすてて
とおい航海に出よう
背負い袋のようにおまえをひっかついで
航海に出ようとおもった
電線のかすかな唸りが
海を飛んでゆく耳鳴りのように思えた
おれたちの夜明けには
疾走する鋼鉄の船が
青い海の中に二人の運命をうかべているはずであった
ところがおれたちは
何処へも行きはしなかった
安ホテルの窓から
おれは明けがたの街にむかって唾をはいた
疲れた重たい瞼が
灰色の壁のように垂れてきて
おれとおまえのはかない希望と夢を
ガラスの花瓶に閉じこめてしまったのだ
折れた埠頭のさきは
花瓶の腐った水のなかで溶けている
なんだか眠りたりないものが
厭な匂いの薬のように澱んでいるぱかりであった
だが昨日の雨は
いつまでもおれたちのひき裂かれた心と
ほてった肉体のあいだの
空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている
おれたちはおれたちの神を
おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか
おまえはおれの責任について
おれはおまえの責任について考えている
おれは慢性胃腸病患者のだらしないネクタイをしめ
おまえは禿鷹風に化粧した小さな顔を
猫背のうえに乗せて
朝の食卓につく
ひびわれた卵のなかの
なかば熟しかけた未来にむかって
おまえは愚劣な謎をふくんだ微笑を浮べてみせる
おれは憎悪のフォークを突き刺し
ブルジョア的な姦通事件の
あぶらぎった一皿を平げたような顔をする
窓の風景は
額縁のなかに嵌めこまれている
ああ おれは雨と街路と夜がほしい
夜にならなければ
この倦怠の街の全景を
うまく抱擁することができないのだ
西と東の二つの大戦のあいだに生れて
恋にも革命にも失敗し
急転直下堕落していったあの
イデオロジストの顰め面を窓からつきだしてみる
街は死んでいる
さわやかな朝の風が
頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてる
おれには堀割のそぱに立っている人影が
胸をえぐられ
永遠に吠えることのない狼に見えてくる
「鮎川信夫詩集1945-1955」(昭和30)所収