BLOG15.NETを読んでいて、「へぇッ」と驚かされることがあった。
「ブログはこれからおもしろくなるのかな?」というエントリがそれだ。
現在大学2年生だというブロガ氏はこう書いている。
トラフィックを集めるコツはひたすら内容のあるエントリを書き続けることだ、という論を有名ブロガーのエントリから読むことがある。私はこういうエントリ を見るとき少しイラッときてしまう。確かにWebの発展の為にはそうするのが一番だろうし、またエントリの内容を濃くすることがトラフィックを集める王道 であるだろうとは思う。しかし、さも自分がブログの内容だけで多くのアクセスを稼いでいるかのように錯覚している有名ブロガーには、少し腹が立つというの が本音だ。
あなたはブログを始める前から有名だったから、(私達無名ブロガーに比べて)楽にアクセスを稼ぐことができたのだろうと言いたくなる。別に誰だとは言わな いが。多分だけど、私だけではなく、有名ブロガーに対するルサンチマンのようなものを鬱積している無名ブロガーは、多いのではないかと思う。
ブロガ諸氏の中には「ブロガ間に格差が広がっており、“無名”ブロガは、いかに頑張っても影響力を持てない...」という気分(BLOG15.NETブロガ氏のコトバでは「ルサンチマン」)が鬱積しているということ。
数年前だったらその「既にある程度のトラフィックを稼ぐ」というのはそれほど敷居の高いことではなかったのかもしれない。しかし、最近始めたばかりの大多 数の無名ブロガーは、最初の段階でアクセスが無いから、その好循環に入っていきにくいのだ。そこらへんの事情を無視し、「いい内容を書けば、その内アクセ スは増える」と、のたまうのは「いい物を作れば宣伝しなくても売れる」というのと同じぐらい非現実的である。
少し脱線してしまったが、要するにブログでは、純粋な内容で評価されるわけではなく、知名度などによって大きく評価が変わってしまうことが、ブログの発展についてはマイナスの影響も大きいのではないか、ということが言いたいのだ。だからと言って具体的にどうすればいいのか私にはわからないので、このエントリは生産的なものではないかもしれないが。 (太字は、ブロガ氏自身のもの)
自分メディアであるブログで情報発信を行うことと、そこから得られる反響の間に、ある種表現しにくい焦燥感が生じているという図式だ。そこからブログ界における、ある種の世代間競合感覚へと折り返していく。
- ブログは自分自身のメディアである。自身が良きものを書けばよいということは当然
- ブログを書き続けるにはその“読者”の拡大による面が大きい
- しかるに、読者を拡大する手だてがない。著名ブロガはそれ自体で注目される構造を有する
- 無名ブログに注目が集まる仕組みがないと、ブログの発展も阻害するのではないか
と、整理してみよう。
BLOG15.NET : ブログはこれからおもしろくなるのかな? - livedoor Blog(ブログ) via kwout
考えれば明瞭なはずだが、ブログを書くということは、見返り(収入)のない行為である。それを覚悟した、ごく私的な挑戦ではなかったか。
しかし、ブロガ氏が書いている構図は、ブログにおいても固定化された格差。あるいは格差が広がっていくという焦燥感だ。この感覚にはたじろがされる。
この先には「ブログ成功者」「ブログ失敗者」といった“格付け”がすぐにでもやってくることだろう。
しかも、格付けはブロガ諸氏とは異なる商業界の原理からやってくるのではない。ブロガ諸氏の内側から立ち上がってくる自己評価においてなのだ。
ブログであろうとなんであろうと、この時代にあっては多様性が多様性として認められることはなく、結局のところ、同一性の構図にあって、「うまくやったヤツ」「いけてないヤツ」という比較や格差という階層感覚に取り込まれてしまうということなのか。
ブログ(というか、自分メディアの運営)が、その直接性においてこの社会に風穴をうがつかもしれないという期待は、私のような年寄り世代の妄想にすぎないというのか。この時代の難しさを感じさせられたエントリとして読んだ。