この年末、十数年実施してきた、山根一眞流の「袋ファイル」、野口悠紀雄流の「調整理法」系のファイルを整理していたところ、かなりの量の雑誌ページの切り抜きが出てきた。
例年、期間が経ち、かつ、参照度の低いものは自動的に廃棄してきた。
しかし、当該のクリッピングは、どうやら廃棄を免れてこれまでひっそりと書棚のあわいで息をひそめてこの日を待っていたらしい。
切り抜きは70枚ほど。
それは、私が90年ごろにある業界紙に依頼されて2〜3週間おきに2年ほどかけて書き綴った、雑誌批評の連載原稿のすべて(多分)だった。
いまから考えれば、勤め人の規範もあったものではない。たぶん、昼間は会社勤めで、夜に依頼されたもの、依頼などされない自らのテーマを、ちびちびと原稿にしていたことを、ようやく思い出した。
たまには原稿料ももらってしまったことがある。すみません、当時の会社の皆さん。
むろん、小遣い稼ぎといった気持ちは希薄だったのだが。
学校を出てすでに十年以上は経っていた。しかし、どうにもサラリーマン稼業に染まりきれぬ気分でいた。
恋愛にも失敗、仕事も、将来に向け何をなすべきかよく分からない。そんな混迷の時期が続く。
酒を飲むか、あるいは知人らと同人誌を折々に出版。きっかけを得ては、原稿を書き気分を晴らす。
80年代を、そして90年のはじめまで、そんな風にしか生きられなかった。
この旧い切り抜きの群を発見して、唐突に当時を思い出した。
当時、自分が生きている数少ない証のひとつが、原稿を書き散らすことだった。
なにかを表現することに乾きを感じていた。そして、いくら書いても、それは解消しなかった。
将来に向けて誓ったのは、いずれはもう少しましな論文を書く、ということぐらいだった。
どうやら、あらためて道に迷っていまに至っているようだ。
さて、その後、切り抜きはどうしたか?
いまやScanSnapという便利な道具が、職場にも自宅にも待機している。
私の踏み迷った姿の証たちは、数分の間にデジタルファイルに姿を変え、将来の邂逅に向けて今度こそ旅立っていった。