母親を亡くしてから、自分の生活に現実味を感じなくなることがある。
どうかすると、自分の生活が無意味ではないかという瞬間の思いが、浮上したりする。
梅雨が明けてから急激に蒸し暑くなった。
そして、再び雨季に戻ったような陽気に逆戻りしたりと、体調がこの気候変化に追いつかない。
そんな体調低迷期は、結果として精神の低迷にも直面する。
例年、梅雨明け前にそのような体調低迷と感情低迷が交錯するようにやってくる。
今年は、そんな気分がずい分と長引いている気がするのだ。
多くの人がどうなのかわからないが、読書に埋没しようとする時期は、感情の低迷期と重なっているようだ。
私にとり、読書は大切な時間の使い方ではあるが、その読書モードからなかなか抜け出せないでいる自分は、おおむねネガティブな低迷期にある。
読書は、自分にとり存分に頽廃的な時間の使い方である。
どうして「頽廃的」かと言えば、それが明らかに家族や社会に背を向けようとする傾斜だからだ。
人はネガティブであろうと、なかろうと、家族や社会に背を向ける時間を必要とする。
それは、やがて頽廃の時間から抜け出すことを前提にしている。
そのようなサイクルが成立していれば、頽廃の時間は、決して頽廃のまま終了しない。
だが、体調と感情の低迷期には、頽廃を、頽廃として終わらせるきっかけを、なかなか得られないでいるのだ。
きっかけをつかむのに苦労するのは、こんな時だ。