佐々木俊尚『2011年 新聞・テレビ消滅』を興味深く読んだ。
大規模なメディア事業総崩れ状況をシリアスに受けとめる立場にとっては、いちいちが説得的に受けとめられた。
啓発された点は、大きく二つ。
“メディア”の3層構造論。そして、“ミドルメディアの時代”という視点だ。
まず、“三層モデル”について。
これは、たとえば新聞のようなメディア事業を子細に検討すると、見えてくる構造である。
従来の新聞事業者は、三層を分離、顕在化せずに「垂直統合」してきたという。
グーグルの及川卓也氏は、これ(注=新聞における垂直統合の構図)を「コンテンツ」「コンテナ」「コンベヤ」という三つの層(レイヤー)に分けて説明している。コンテンツは記事そのものでコンテナはそれらの記事を運ぶ容器、そしてコンベヤは容器のコンテナを配達してくれるシステムだ。新聞で言えば、
コンテンツ=新聞記事
コンテナ=新聞紙面
コンベヤ=販売店
ということになる。これまでもメディアをコンテンツとコンテナという二層に分けて説明することは多かったが、及川氏はここにコンテナを運ぶコンベヤという新しい概念を持ち込んで、三層モデルにした。
三層モデルももちろんそうだが、二層モデルも人口に膾炙していたとは知らなかった。
この三層モデル論を、たとえば昨今のインターネット上での新聞コンテンツの展開に適合すると、次のようになるという。
コンテンツ=新聞記事
コンテナ=ヤフーニュース
コンベヤ=インターネット
従来、垂直統合の力を発揮してきた新聞社は、コンテンツ、コンテナ、そしてコンベヤをコントロールしてきた。
したがって、これを三層モデルと見なす必要もなかったわけだ。
だが、現在。上記の例で言えば、コンテナとコンベヤをコントロールできない状況が到来しているのだ。
佐々木氏の視点は、明瞭だ。ここでいう「コンテナ」を制するものがメディアを制するというわけだ。
垂直統合がバラバラに分解して、新聞社やテレビ局は、単なるコンテンツ提供事業者でしかなくなった。パワーは、コンテナを握っている者の側に移りつつあるのだ。……そのコントロールを握るのはいまやコンテナの側にシフトしはじめているのだ。
これが新たなメディアプラットフォームの時代である。
ここで、「コンテナを握る者」=「プラットフォーマー(プラットフォームを握る者)」という視点が提示される。
これが、メディア事業の三層モデルの、全容である。
次に、「ミドルメディア」に触れよう。
マスが衰退する世界——私は前章で、そう書いた。
じゃあマスがなくなったあとには、いったい何がやってくるんだろう?
それはミドルメディアだ。
ミドルメディアとは、何を意味しているのだろうか。それはマスメディアでもパーソナルメディアでもない、中間的な圏域のことだ。
佐々木氏は、このように断じながら「ミドルメディア」を以下のように説明する。
ミドルメディア 特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報
狭い領域では大きな影響力を有する。狭い領域に属する分、新聞メディアのような規模には及ばないものの、特定分野では目の離せないような影響力を有するメディア群。
これがミドルメディアである。
狭い領域に混在する分、ミドルメディアは、必ずしも個人のメディア、商業メディアと分別できない。特定のブログのほうが、商業メディアより規模を獲得するような逆転現象も生じやすい。
佐々木氏は、このミドルメディアの特徴は、そのターゲティング性にあるとする。次のようにだ。
ミドルメディアはそもそもマスじゃない。マスじゃなくてどのような読者に情報を投げ込むのかというターゲティングが最適化されているから、広告が成り立ちやすい。
そもそもが、そこに来る読者の嗜好が確定しているような狭い領域である場合、広告主は自らの広告が“場違い”な場所に掲載されることを懸念する必要がない。うまくすれば、広告自体が、その場所に属する読者に取り貴重な情報源として歓迎されさえする。
ここには、狭い領域にあって、読者とメディア提供者の関心が共通化されている際に、ターゲティング化が有効に機能する可能性が示唆されているのである。別の機会にもう少しこの周辺を考えてみたい。