米国議会における公聴会(「ジャーナリズムの将来」、以下、川内孝氏の連載「メディアの革命」の紹介に依拠する)で、Google社副社長のメリッサ・メイヤー氏は、以下のように述べたという。
同じように、(デジタル時代の)ニュース消費構造は、(ニュースを網羅して価値づけた)フルページの紙面にはなく、そこから切り離された個別の記事へと移ったということなのだ。だから(新聞、雑誌)発行者は、初めての(サイトを訪れた)読者に必要、十分な内容を提供すると共に、繰り返し個別ニュースを フォローしてくる人のために、最新の情報を豊富に盛り込むことも必要だ、ということを知らなくてはならない。
私の一連のメモで言えば、「断章2.」で紹介した佐々木俊尚氏の発言を思い出してほしい。
垂直統合がバラバラに分解して、新聞社やテレビ局は、単なるコンテンツ提供事業者でしかなくなった。パワーは、コンテナを握っている者の側に移りつつあるのだ。……そのコントロールを握るのはいまやコンテナの側にシフトしはじめているのだ。
これが新たなメディアプラットフォームの時代である。
この場合の、プラットフォームを牛耳る存在(=「プラットフォーマー」)がGoogle(あるいは、Yahoo!)なのだとすれば、前述のメイヤー氏の公聴会での証言と、佐々木氏の解説が照応していることがわかるだろう。
もう少し厳密に言おう。
あるコンテンツ(たとえば、ある特定の事件を報道記事)の読み方、その価値を定めていたのは、垂直統合力を有していた新聞社であった。
「紙面のどこに」「どのくらいの規模で」掲載するかといったメタコンテンツの部分を、従来は新聞社が握っていた。
読者は、コンテンツとこのメタコンテンツを、差し出されるままに読んできていたのだ。
だが、デジタルな媒介が強力になるに従い、個々のコンテンツは、紙面や扱いの規模などといった新聞社側のフレームから解き放たれていく。
デジタルな空間での読者は、他の記事と当該記事の区別を、自分で行う。
もし興味を引く事象に出会えば、その記事に止まらず、関連する他の記事や解説を探し出そうと行動する。
読者はそのような任意な情報探索活動を、ある記事(コンテンツ)の発信者のフレームから離れて行える。
これがIPネットワーク時代のメディア消費活動の標準的姿なのである。
では、その次の課題はなにか。
それは、バラバラにアトム化されたコンテンツに対して極端に任意性を高めている読者の行動を、どう深く理解するのか。
そして、それを前提に、メディア事業者は将来に向け、どのような青図を描くのかということだ。
例えば、私が「メディア」に関心を持つ、「企業経営者」だったとしよう。
その人間が、メディア企業の経営に関する報道で、アナログ地上波上のテレビ番組コンテンツ、あるいは、3〜4大全国紙の記事で、十分に満たされる事態は想像しにくい。
全国紙記事であれば、少なくとも他紙での扱いを確かめるだろう。さらに言えば、より一層専門的にそれを報じている商業メディアやブログなどでの論調も知ろうとするはずだ。
このように、“非専門領域”であればいざ知らず、自身の“専門領域”に関しては、広く・深く多様な情報源と自ずから接触することとなる。
そこで、私は、個々の読者の専門領域(関心領域と言い換えてもいい)における、任意性の高い情報収集活動を満たすメディア構造を創造しなければならないと考えるようになった。
この“メディア構造”にあって中核をなすのは、個々に細分化された専門領域(関心領域)に純化されたコンテンツ群である。
そして、それに劣らず重要なのは、コンテンツ群に対して、「新着」「解説」「事象報道」「Q&A」「キーパーソン」……といった多様なナビゲーションを提供することだろう。
ただし、コンテンツ群とナビゲーションは分離可能でなければならない。読者はコンテンツとメタコンテンツが非分離な構造(まさに、上述した新聞社の垂直統合型モデルである)を本能的に嫌い始めている。
メタコンテンツの領域は、今後も大いに発展が求められる。
単に検索エンジンが提供する直行直帰型ナビゲーションだけでは不満である。
読者自身の専門力に応じて、話題を適切に掘り下げられるドリルダウン・ドリルアップのナビゲーションが必要だ。
また、その話題と関係性が深い情報(関心)クラスターへのナビゲーションの提供もまた、検索エンジンには不得意な仕事だ。
このような構造を、私はターゲティング・メディアと呼びたいと願っている。
ところで、専門領域、関心領域のすべてにおいて、純化されたコンテンツ群と適切なナビゲーションを用意していくことは、ますます困難になっている。それは、専門領域、関心領域は小宇宙のように遍在するからである。
これをどうやってカバーしていけばよいのか。機会を選んで検討をしていきたい。