ブロガー立入勝義氏の「うぃるの起業ブログ 意力」は、近ごろ注目しているブログメディアだ。
中でも、最近のポスト「近未来のソーシャルニュースネットワークを考える(1)」は、私の職業がら非常に挑発的で刺戟を受けた。その点を少々書き起こしてみよう。
当該ポストの要旨は、
- Webの宇宙に新たな動きが生じていること
- そのひとつは、リアルタイムの流れ
- もうひとつは、膨張したWebが縮小する傾向であること
- ただし、決してWeb自体が縮まっているのではなく、フィルタリングが機能し始めたことによる
- フィルタリングはソーシャル化(コミュニティ化)が担っている
- ソーシャル性にはギブアンドテイクが機能している
- 従来のWeb界の大手、ポータルメディアは上記の流れに乗り遅れつつある
概ね、大きな異論はない。その通りではないか。
さて、私が挑発されたというのは、下記のような発言についてである。
それがポータルであろうがソーシャルメディアサイトであろうが、ほとんどのサイトは利益主導で運営されている、つまりアクセス数を稼いで広告売上を増やしたいというのが一番のモチベーションであるということである。
ユーザが記事目当てにやってくるのを利用して、サイト自身が広告媒体としての価値を高めている、そういうことだ。そこで、改めて着目したいのがここでいうユーザには利益が落ちる仕組みにはなっていないということだ。儲けるのは常にそれを運営している会社になる。
上場益が出たとしても、ほとんどの場合はそれは創業者が手に入れる仕組みになっている。
「ユーザ」とは誰のことか? という問いが残るのだが、ともかく、私のようなメディア稼業を営む者にとり、(ビジネスモデルの)根幹に刺さることが語られていると思う。
「ユーザが記事目当てにやってくるのを利用して、サイト自身が広告媒体としての価値を高めている」とは、100%真実である。
少し補足すると、私たちはやってくる「ユーザ」にフォーカスする。
誰でも良いのではない。
「広告媒体としての価値を高め」るようなユーザに集まって欲しい。
メディアビジネスの最大の目的と価値は、これに尽きる。
もうひとつ、「ユーザには利益が落ちる仕組みにはなっていない」。
この指摘は、ある意味で衝撃的だ。これはどういうことだろう?
メディアを運営する側にとり、「ユーザ」へ提供できる最大の「利益」はコンテンツ、であったはず。
とすれば、立入氏は差し出されるコンテンツは、「利益」に勘定されないと主張しているのだろうか。
まさに、そうであるのかもしれない。
先日、私はオンライン専業メディアの過去から現在へ至る遷移について言及した(「メディア稼業の現在地点について」)ばかりだが、ここでもメディアの、そしてコンテンツの、“ゼロ価値”化が言われているのか——。
とは言え、私はここで、「コンテンツが読めることに敬意を払わぬ者たちが」と、逆上したり判断停止をしてしまうわけにはいかない。
メディア(の運営者)が“司祭”のように振る舞う時代は、終わろうとしている。
そのようにではなく、メディアが、まさに媒介者として価値(利益)を提供できる仕組みが求められている。
そう、私たちがやらなければ、それ以外の人々がそれを果たすだけである。
歩みを早めなければならない。取り上げたブログポストが私を挑発していると、受けとめるのはそのような文脈においてだ。