梅田望夫氏の新刊が出た。それも“電子書籍”で。
『iPadがやってきたから、もう一度ウェブの話をしよう』がそれだ。
必ずしも表題のように、iPadについて周到に論を成しているわけではない。が、それでもiPadが到来する現代のウェブについて、重要な指摘をしている。それはいかにも梅田氏らしい筆の運びだ。
本稿は、同書の書評ではない。梅田氏が本書を通して提示した問題意識に触発されての、メモだと思ってほしい。
それは「iPadがメディアにもたらす創造的破壊」という項に表明された指摘に始まる。
(iPadを)使い始めてしばらくして私は、ぜんぜん想像していなかった不思議な感覚を味わうことになった。「あれっ、本と雑誌と新聞とウェブサイトの区別がつかなくなってきたぞ」と。昨年アマゾンが電子書籍端末「Kindle(キンドル)」を世に出したとき、人々は「本がまるで本であるかのように読める」ことに驚いた。しかしiPadは、本や雑誌といった出版商品だけでなく、ウェブコンテンツであれ書類であれ、何でも読めるコンピューターだ。(中略)美しいカラー画面上に指を滑らせるだけで、ウェブコンテンツにつきものの夾雑物(広告や他サイトへのリンク等のごちゃごちゃした感じ)をも簡単に取り除ける。その結果、利用者に「本以外のすべてのコンテンツを、あたかも本を読んでいるかのように錯覚させてしまう」効果をもたらす。(中略)いまiPadにいちばん興奮しているのは、初期の利用者以上に、世界中の開発者やクリエーターたちだと言っていいだろう。iPadとは、ジョブスが仕掛けた「メディア産業全体に創造的破壊をもたらす時限爆弾」なのだ。私は今そんなことを感じるに至っている。
梅田氏が本書でiPadがもたらすインパクトに直接言及するのは、この箇所に尽きるといってよい。
ただし、これだけで十二分にiPadがもたらす影響を語り得ている。さすが“梅田望夫”氏というべきだろう。
さて、私はメディアを生業としている職業人なので、ことさらにこの梅田氏の指摘に打ちのめされる。
なににせよ、「ごちゃごちゃした感じ」のものが、現在の私たちの食う術のほぼ唯一のものだからだ。
梅田氏がいささか楽天的に語る「創造的破壊」は、まず「ごちゃごちゃした感じ」を生みだしている人々をなぎ倒さざるを得ないのだろう。
少しだけ恨みがましく述べれば、「ごちゃごちゃした感じ」を周辺に伴ったコンテンツそのものを生みだしているのも私たちなのだが。
この、梅田氏が直感的に得た“創造的破壊”の兆しは、正鵠を射ている。
また、そのような破壊的役割をアップルは、もっと擬人化して言えば、スティーブ・ジョブズが無意識に推進しているとも思えない。
なぜならば、アップルが提供するデスクトップ版WebブラウザのSafari5では、まさにこの「ごちゃごちゃした感じ」の夾雑物を端的に排除し、コンテンツのコアの部分のみ表示する機能「リーダー」が装備されているからだ。
Webのブラウジング体験はもっと美しくできる。これがアップルの野心的なまでのこだわりなのだ。
梅田氏は主張する。
広告やら他記事へのリンクやら、要するにメディア企業が収益化のためにコンテンツにバンドルさせてきた“夾雑物”が取り払われることにより、これまでのような、アプリはアプリ、PDFはPDF、そしてWebメディアはWebメディアといった境界線は崩壊して、iPadが創り出す均質で美しい場で、クリエーターたちには新しい作品やビジネスの創造が可能になる、と。
そのための収益手段もまた、アップルが用意するのだと。
Web(HTML)メディアという透明で中立的な標準の上で、コンテンツとそのメディアパッケージ提供者が一定のコントロールを握りながら、情報の生産と配信を行ってきたのが、iPad以前。
しかし、“創造的破壊”という契機を迎えた今、アップルがコントロールを握るのか、あるいは、新たなビジネスクリエーターらがそれを握るのか、はたまた読者がコントロールを握るのかは、さらに長期的視点での整理が必要になるだろう。
ことが梅田氏の見立てのように楽観的に思えない要素があるとすれば、新たに中立で透明なWebメディア体験を提供することは、アップルのコントロールを強めることと違った結果を導くと思えるからだ。
先に挙げた「リーダー」機能は現時点ではiPhone/iPadのSafariには搭載されておらず、そのような透過性の高いユーザー体験よりも、アプリに閉じ込めたリッチなユーザー体験を、アップルは優先して普及させようとしている節もあるのだ。
そのようなわけで、梅田氏の“創造的破壊”楽観論とはやや違う立場で、この破壊的予兆を自覚するというのが現在の私の立つ場所である。
従来からのコンテンツに雑多な夾雑物をバンドルさせることで成立してきたメディアビジネス。そしてその転換期。
では、以後それはどのようなアプローチへと転化できると言えるのか。
考慮すべき選択肢がいくつかある。
- アップルやそれに準じるプラットフォーマーが提供する寡占的な広告標準に従属する
- コンテンツと収益機会を改めて(不即不離な関係へと)バンドルし得る手法を考案する
- コンテンツ(メディア)を極力アプリ化して、1. のようにデファクトの課金システムへ従属する
- プラットフォーマーとコンテンツとのあいだに、さらにプラットフォーム形成機会を探る
- 新しいモバイルデバイスへのコンテンツ(メディア)の供給に背を向ける
梅田氏が述べるように、「世界中の開発者やクリエーターたち」がわくわくと興奮しているのなら、そこに鉱脈があるのは間違いない。これを肯定しないでどうすると言うのか。
いずれは生きる道が見つかるはずなのだ。私がそう信じる。