クリスマスには終わってしまうとのことで、大慌てで行ってきた。
アンドリュー・ワイエス展。
自分でも興味深く思うのは、最近になって読書ソースが広がってきたことだ。
これはやや予想外の出来事だ。だんだん“読書”などに振り向ける時間は減るものだと思い込んでいた。
そうではないらしい。読むべき対象が広がるとは。
これまでは、書籍、Webコンテンツ(RSS経由で読むことが多い)、そして雑誌・新聞といったものが、自身の主たる読書ソースだった。ついでに言えば、“読書”の語感からは遠いが、Podcastコンテンツに対しても多少の時間を割いてきた。
iPhoneを常用するようになり、iTunes Storeで購入できるオーディオブックがソースとして、まず加わった。
ビジネス(啓発もの)から、古典までそれなりのラインナップが挙がっている。
そうこうしている内に、Webではすでに定着した「青空文庫」のiPhone用クライアント「soRa」(有料アプリ)が登場した。
これを購入して以降、古典作品を毎日のようにダウンロード、ヒマさえあれば読むことが多くなっている。
思わず「合掌!」と、口に出して言いたくなったので、取り上げておく。
遠ざかってずい分になるが、ザウルスは、私を夢中にさせた電子デバイスの走りだ。
少し補正すると、まずザウルスに先立つPDA元祖的製品、まさに「電子手帳」のシャープ電子手帳 PA-8500があった。
スロットに挿す電子辞書カードを購入した記憶がある。
そしてザウルス時代がやってきた。
ザウルスの全般的情報については、Wikipediaがずい分詳しい。
これらで記憶を再構成すると、私が所有していたのは「液晶ペンコム」PI-3000およびPI-4500辺りのようだ。
後者では、純正外付けモデムが売られ、FAXやパソコン通信を利用できるようになったと記憶する。
PDAの草分け「ザウルス」生産停止、高機能携帯に押され : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) via kwout
PI-3000は1993年という記述がある。それは、あるIT系の出版社に務めている時期に当たっている。
最初はソフトウェア製品のマーケティングで、その後は、同社で編集部門でPC関連の月刊誌などに携わるようになった。
この時期は、Windowsの急激な普及で、各種のソフトウェアやデバイスが進化していた。
ザウルスのPC連携機能が徐々に食い足りなくなる一方、たびたびの米国出張で見かけていたPalm Pilotに関心が傾く。
むろん、ザウルスに比べれば、日本語手書き認識能力では遙かに劣るPalmだったが、クレードルにおいてボタンを押せばPCとのデータ同期が完成する、スタイラスペンによる手軽なグラフィティ(手書き認識)が圧倒的にスマートで、その後、数代にわたるPalm信徒へとくら替えすることになった……。
いやあ、このように改めて振り返ると、
とまあ、途中にブランクはあるものの、けっこうなガジェット好きである自分を再認識。
思えば遠くまで来たものだ。
まだまだ続くだろうこの悪癖の、出発点に存在するシャープ製電子手帳とザウルス。
改めて黙祷を捧げよう。
この連休、前後に休暇をもらい、九州に向かった。
例年この時期に実施しているが、今年も判で押したような、昨年同様の旅程となった。
九州は湯布院。春がいいのか晩秋がいいか。悩むところだが、今年も晩秋を選択。
下の写真は、いかにも、の湯布院。
いまや大観光地、金鱗湖、早朝の朝霧シーン。そして、今回1泊宿泊した「亀の井別荘」のフロント前(笑)。
当地には、国内では最高!(と、個人的に思い込む)の宿が、三つも集積する。亀の井別荘はそのひとつだ。
宿の主人に言わせると、「今年は、公孫樹が素晴しくきれいで」とのこと。
確かに、そこここで公孫樹の葉が浮き立つような光景に出会えた。
逆に紅葉は、やや物足りない。
今回は、隣り駅「南由布」に向かった。例年、気になりながら訪れる機会のなかった「旧日野医院」へ。
和洋折衷の明治建築がお目当てだ。
左端の写真が、旧日野医院本館正面。近年修復工事を経てはいるが、基本的には明治27年築のまま。大きな災害にも遭わずに無事遺されてきた。「三代目」当主が建築ということだから、相当な歴史を誇る。
写真にはないが、玄関を入った“患者待合室”にはシーボルトの肖像画が飾られている。
つまり、長崎文化圏、中でも西洋蘭学のお弟子さん筋に当たる当主が建てたこともあり、西洋建築の色味が濃いということか。
「贅を尽くす」という表現は、地域医療に貢献する医院建築には不適切かもしれないが、これほど美しい明治建築が“山里”に遺されていることに驚かされる。
九州は長崎の文化、商業交易、さらに温泉立地(隣り町には「湯平」がある)などの要素が重なり、いまとは異なる賑わいがこの地にあったことを想像させる。
ハイシーズンの週末ではあるが、国指定重要文化財を訪れる観光客は少ない。私たち以外に人気はない。
建物を守るのは、元教頭さんだとか。たった300円の入館料でたっぷり1時間建物を周遊、解説してくれた。
その脱帽するしかない情熱と人情に、また別の感慨を得た。
帰り道。見渡すかぎり山々と、その合間に広がる田んぼ。民家もちらほらというぐらいの農道を歩き南由布駅に向かった。
農道が分かれて、美しい弧を描きながら小高い丘(?)をのぼっていく。
かろうじてアスファルト舗装されていることにさえ気づかなければ、時代を見失うことができる美しい小径だ。
坂の途中は公孫樹の葉で覆われている。.頂きには個人のお墓が維持されている。
離れて見れば、お椀を伏せたような地形。古墳の存在に気づかされた。
どうやらこの地は、過去へとさかのぼればのぼるほど、豊かな経済、文化、社会圏をなしていたということらしい。
週明けの大阪出張にかこつけて、週末、晩秋の京都を訪れた。
計20時間のショートステイだが、この時期ならではの晩秋、京都を味わうことができた。
日曜の午後に京都着。急ぎホテルに投宿。最も近くの京都名所を選択。タクシーで15分ほどの銀閣寺に向かった。
古い洋館を改造したレストランでひとまずランチ。ようやく銀閣周辺の観光を開始したのが午後3時だ。
目にしたのは、ピークシーズンならではの“雑踏”。このまま行列に参加して銀閣寺入園というのも、つまらない。
と周囲を見回すと、人気のない散歩道を見つけた。「哲学の道」。
哲学者西田幾多郎が思索に耽りながら散歩したことから、その名称を得たとかいう。
ミーハー度たっぷりな名所だが、さすがに観光客も多くなく(思索に耽りたい観光客は、どうやら滅多にいないらしい)、落ち着いた良い雰囲気を堪能した。
さて、寄り道をした後、ようやく銀閣寺庭園に足を踏み入れてみると...。
銀閣寺本堂は改修中とかで、仮設足場とネットでなんとも醜い姿に。そこかしこから悲鳴が聞こえる(笑)。
ま、随所で鑑賞に堪える紅葉と、少し冷えた庭園の空気を思い切り吸い込むことができた。拝観料500円の元は取ったというところだ。
一度でいいからたっぷり京都を散策し尽くしたいと思いながら、今回も早くも暮れていくのだった。
ITmedia エンタープライズの記事から。
趣旨は、「ネットスーパーや電子チラシが好調」なのだということ。
背景には価格差が消滅すれば、重い買い物などは宅配が便利だという実利、そして、電子チラシで価格差を冷静に検討できる実利、さらには、主婦(女性)らにとっては、多少送料がかかったとしても、外出時の身なりなどに気を遣わなくても良いといった“実利”が浸透していることもあるらしい。
こう書けば簡単、当たり前の話のようだが、当該記事中で紹介されている「食卓.jp」の営業責任者のコメントでは、これが利益の出るビジネスになるのに10年かかったという。
日常にしっかり根を生やした仕組みに対しイノベーションをもたらすには、なにごともこれぐらいの手間ヒマはかかるものなのだ。
さて、以上は「なるほど」というところだが、この記事を読んで想起したのは、私自身が書籍(最近は、書籍に止まらず、エレクトロニクス関係、スポーツウェアなどに広がっている)を購入するにはamazon経由で、という図式になっているということだ。
どの程度“amazon経由”になっているかだが、たとえば書店で「買ってもいいかな」と思う書籍に出会っても、それをメモしておいてamazonにまとめて購入、と説明できる。
どうしてこういうことになってきたかを、以下のように考えてみた。
これを眺めてみると、私の場合、amazon経由購入に傾いてきた動機としてもっとも大きいものは、「1.」「5.」だと合点がいく。
この2点に比べれば、「3.」は実利感覚としては薄い。
また、「4.」はありそうな動機ではあるが、むしろamazonに傾いた結果、書店に出向かなくなったという因果関係かもしれない。
自分の思考プロセスをとらえ返すと、
特に(書籍の)読書体験から思考を動かし始める場合、突然の思いつくアイデアなど、直感に頼った思考より旋回が緩やかな分、深みがある気がしている。
思考しアウトプット(表現)する、というプロセスを自分自身の“業務フロー”と見なすなら、ポイント、ポイントでの情報が整理されて残ることには大いなるメリットがある。書名をはじめとして各種の書誌情報にすぐアクセスできるのは、思考や表現の精確性の基盤でもある。
このように、自身の活動に関わる情報の集約点がデジタル基盤に載ることは、自身の活動が自動的にログ化されることを意味する。
そして、デジタルな集約点がいったん機能し始めると、さまざまな活動のプロセスがつながり、的確に記録されるようになる。そして、このログの価値は、徐々に他の利便性を圧倒するようになる。
ちょうど、目の前に買いたい本があるのに、自動的にログ化される利便性のほうを優先してしまうように。
だから、(たとえばamazonが)デジタルの環をつなげていくことは、とても大きな競争優位を生むチャンスなのだ。
amazonが、私のすべての行動ログを取っていてくれれば、と思わず夢想してしまうのは、倒錯的だろうか?
人が自立する通過点
“働くこと”を自分なりに定義づけるとすると、それは“人が自立を成し遂げること”となります。
自らの意思で行動範囲を広げ、社会的交流を広げ、そして職業を選択するに至る。これが自立です。
人は“必要”に迫られるように自立します。同時にそれは、誰の意思からも独立し、自らの選択で、自らの生活(資源)の生産へと入っていくことでもあり
ます。
ここに、ひとりの人間にとっての“必然”と“自由”が交錯する場所が生じるのです。
この場所を通過しようとするとき、人は緊張と期待、そして恐れの綯(な)い交ぜられた意識に強く支配されます。遠い過去、このような場所を通り過ぎて
しまった私でさえも、時々はこの緊張の通過点を思い返し、それを知らなかった時代を懐かしくも感じます。
とはいえ、働くことを知らなかった自分に戻りたいか? と問われれば、働くことが時に求めてくる煩わしさを思うと同時に、やはり選択の意思を行使する、
つまり自立を遂げようとする現在の自分のほうを肯定することになるのです。
[仕事にまつわる10問アンケート]++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
[1] 今の仕事が好きですか?
> 「今の仕事」を、「メディア事業」とするなら、大好きです。「経営」とするなら、それほどでもありません。
[2] 一生困らないほどのお金が手に入ったら、仕事以外にやりたいことは?
>もちろん! 研究テーマがありますし、読みたい本が山ほど。社会貢献事業のタネもあります。
[3] 仕事で、“鳥肌が立つほど感動した”ことがありますか? それはどんなときですか?
>新しいメディアやサービスの提供を開始した瞬間がそれに当たります。
[4] 仕事より大切なものは?
>家庭、交友関係、インターネットをめぐって考えるべきこと・アイデア。仕事より重要なことはいくらでも。
[5] 子供の頃になりたかった職業は?
>職業に従事しない自由人です。(笑)
[6] あなたの子供に、仕事のためにどのようなことを身につけさせたいですか? (※子供をお持ちでない方は、いると仮定してお答え願います)
>遊びと学び、です。
[7] あなたの仕事にとってコンピュータとは?
>神の顕現。
[8] 仕事で成功するために、もっとも大切なことは?
>学ぶ姿勢、でしょう。
[9] いま、1時間だけ自由な時間があったら、何をしたいですか?
>読書です。
[10] 最近読んだ本で、仕事に役立ったのは?
>『プロフェッショナルの条件-いかに成果をあげ、成長するか』
(P・F.ドラッカー 著/ダイヤモンド社)
オデッセイ通信 第47号/2008年10月28日Vol.47 掲載
この週末、東京は小金井市に位置する「江戸東京たてもの園」を訪れた。
江戸期から明治・大正・昭和にいたるさまざまな住宅や商店、そして銭湯などの建築物を移築、保存した野外博物館だ。
特に東ゾーンに集められた東京は下町の商店や住宅、銭湯などの構築物は、「情景再現」というさながらテーマパークの趣で、ともかく楽しい。
さて、今回同園を訪れる最大の眼目、お目当ては旧前川國男邸。
ご存知、昭和のはじめ、ル・コルビュジエに師事し、上野に位置する東京文化会館や、国立国会図書館その他、著名な大型構造建築を遺した建築家前川國男の自宅だ。
それら大型のビル建築なども関心があるが、なによりも私は彼の自宅に興味がある。写真集やTV番組などで観てきたのだが、小金井にその旧前川邸が移築、保全されているとのことで、その良さを実体験すべく訪れた次第。
前回の地元の、木造民家の撮影小旅行に次ぐ、「あこがれのお宅拝見、パートII」というわけだ。
実際に訪れ、まさに上がり込み、家の中を歩き回って実感したことは、「やっぱり素晴しい!」の一言。
決して広大、豪壮という種類のものではなく、夫婦二人、もしくは戦時下で都心に設計事務所を維持できずに仕事場としても利用した同邸は、プライベート空間というよりは、心地よい共有空間に秀でていた。
吹き抜けのリビングは、屋外との一体感が強く、非常に快適。
隣室に設けられた仕事部屋も、これまた、屋外の光景や陽光をうまく取り入れながらも、落ち着きがあり、これまた快適。こんな空間で自分の関心ある仕事に没頭できたら幸せだ。
同園では、前川邸周辺に、やはり大正から昭和にかけての名住宅建築が移築されており、愉しい。
一緒に、大正14年築という「田園調布の家(旧大川栄邸)」も訪れてみた。
こちらは、前川邸ほどの意匠を備えたものではないが、私の実母が生まれたぐらいの時期に、これほどにモダンで明るい洋風建築が建てられていたことに、感慨を憶えた。
両住宅とも、小金井の豊かな緑、特に立派なケヤキの木のそばにあり、今も生き生きと存在感を放っていることに驚いた。
朝から活発に活動する多くのボランティアの人々に出会ったが、それも理由のひとつなのだろう。
また、ぜひ訪れてみたい理想の“住宅地”だ。
今年の体育の日は、朝は曇天ながら、陽が昇るにつれ素晴しい好天となった。
久々に空が抜けるように青く、陽気は上々。
以前から目論んでいた、近隣の山里に目立つ古い木造住宅の撮影に向かった。
自転車で、自宅から約15分の行程。
いつもは自動車で通り過ぎるだけだった、あこがれの古民家(って、50、60年ぐらいの年季だろうが)が見えてきた。
家の中からは、家族だんらんの時らしく、和やかな話し声が聞こえた。
秋の陽光の下、姿は見えないものの人々の幸福感、穏やかな賑わいを伝え聞いた気分だ。
怪しまれてもいけない。写真を撮りまくって早々に退散することに。
近所には、大好きな山寺がある(といっても、住職がこの春に急死とか。これからどうするのだろう?)。
やってきた道を下れば、川沿いにソバの花も咲く。少し前来れば、彼岸花の大群生地帯でもある。
期せずして同時期に、メディア稼業の今後に向けて重要な視点を提供する書物を読むことになった。
湯川鶴章『次世代マーケティングプラットフォーム』と藤原 治『ネット時代 10年後、新聞とテレビはこうなる』。この2冊である。
ふたつの書物を見比べると、興味深い特色が重なりあって浮かび上がる。それは、“メディア”をめぐる共通の将来イメージである。
前者は、その帯にも大きく掲げられているように、「広告マーケットプレース」「デジタルサイネージ」「ウェブ解析とCRM」など、従来のメディアと広告の蜜月、すなわちメディアビジネスを終焉させるかもしれないテクノロジーの進展、その先端を探る。
「広告とマスメディアの地位を奪うもの」という刺激的な副題が付されているが、「奪うもの」の当体を、著者は「マーケティングプラットフォーム」と呼ぶ。
後者は、2010年代に起きると著者が占う「ネットとメディア」の本格的な融合を扱う。この融合により登場するものを、著者は「eプラットフォーム」と呼ぶのだ。
新聞記者が「マーケティング」を語り、「広告の終焉」を述べる。片や長く大手広告代理店を勤め上げた著者が、「新聞とテレビがのみ込まれる」メディアの大変革期を占う。
そして、両者は軌を一にして、その変革を引き起こす、あるいは変革によって生み出されるモンスターを「プラットフォーム」であると断じるのである。興味深い共通点と言わざるを得ない。
湯川が論じるのは、技術変革こそが「広告の終焉」を促すという視点である。
上にも挙げたような、インターネットを巡って急進展するさまざまな技術革新が、「『広く告知する』を意味する20世紀型の広告はいずれ消滅する」という確信をもたらす。
広告から販売まで、売り手と買い手が一つの配線でつながっていた時代から、あらゆるメディア・販売チャンネルを通じて複雑につながる時代へ——。これを(引用者注=Microsoftのビル・)ゲイツ氏は「今、経済のリワイアリング(配線組み換え)が行われている」と表現している。
配線組み換えの作業は、すでにデジタル化されオンライン化されている領域から始まり、徐々に経済全体に広がっていくだろう。今すぐにでも配線が可能なのは、オンライン広告の領域である。だからこそ、IT大手がこぞってオンライン広告の領域に参入しようとしているのだ。 (『次世代マーケティングプラットフォーム』より)
なるほど。ではどこが「プラットフォーム」か?
著者は、インターネット時代のマーケティング手法を表す概念として、「360度マーケティング」に触れながら次のように述べる。
テレビなどの従来型メディアだけではなく、自社サイトやブログなどのパソコン向けウェブサイト、携帯電話、デジタルサイネージなど、あらゆる機器、メディアを通じて、消費者に接するべきだという考え方。 (同上)
そして、これが重要な点なのだが、リワイアリングされてあらゆる点から消費者に接するマーケティング(技術)に、単独の覇者は存在しないと言う。
Googleでさえ、単独では「360度」を形成し得ない。
単独の覇者に代わりそこに存在するのは、多数の接点や視点を生み出す(テクノロジーの)プレーヤーたちであり、その連鎖である。
この連鎖を生み出すものこそ、(インター)ネットワークである。
インターネットは、新たなオンライン・メディアを生み出す基盤であったが、今や新たなマーケティングを生み出す基盤、すなわちプラットフォームだというのである。
さて、次に「eプラットフォーム」の概念に触れてみよう。藤原は次のように、「10年後」の近未来イメージを語る。
いささか長い引用だが、容赦してほしい。
……新聞を新聞受けまで取りに行った。そんな習慣がなくなって久しい。その朝も、居間の100インチのテレビのスイッチを入れる。
画面に現れたeプラットフォームのインデックスをクリックし、昔から取っている朝日新聞の見出しを映し出す。一面から順次スクロールしていく。この動作までの情報取得は、誰に対しても無料である。しかし、筆者は朝日新聞は年契約しているから、有料とされるコンテンツ、つまり記事に関してもフリーで取得できる。その朝は、日本経済の動向、その年のアメリカ大統領選挙の行方に関する記事を取り、設置されている印刷機でそれらを紙にプリントアウトした。……以前は、チャンネルをカチャカチャ回しながら、見たい番組を見つけようとしたが、今ではキーワード、例えば、「首相の新年挨拶」とインプットすると、どの局で放送しているのかがすぐにわかる。また、典型的なアナログ人間である筆者でも、ドラマを見ながら平気で主人公の着ているジャケットをクリックし、eコマースで購入している。
……つけっぱなしのテレビでeプラットフォームの画面をクリックした。母の顔が映る。テレビ電話機能をeプラットフォームが果たす。わが家には数年前から電話機がない。 (『ネット時代 10年後、新聞とテレビはこうなる』より)
著者が、eプラットフォーム誕生のターニングポイントとして挙げるのは、以下の3つである。
- 2011年に完成するテレビ地上波のデジタル化——デジタル化でインターネットと同様の双方向性が可能となる
- インターネットのブロードバンド化——広帯域ネットワークでは、テレビ動画との同質化が生じる
- HDD内蔵の蓄積型テレビの普及——フローからストックの番組視聴で、テレビとPCの同質化が進む
ここでも、では何がプラットフォームなのか? という問いを発することになる。
藤原は、「メディア」と「コンテンツ」(もしくは、「コンテンツ・プロバイダー」)とを峻別する。
メディアとは「媒体」である。媒体は、この場合、新聞紙や地上波であり、インターネットである。つまり、コミュニケーションの両極を行き交うコンテンツを伝達する媒介を指す。新聞とは、印刷された紙というメディアに載ったコンテンツの総体である。
eプラットフォームは、このメディア部分に相当し、かつ、従来からのメディアの分別を無意味化するモンスターなのだ。
eプラットフォームが完成すると、コミュニケーションにおける三大要素のコミュニケーターとコミュニケーティ、およびメディアのうち、メディアに関する差別化がなくなり、「すみ分け論」が雲散霧消することになる。そうするとどういうことが起こるか。
これまでメディアの経営主体とされていた新聞社やテレビ局は、現在持っているコミュニケーターの性格は相変わらず保持しつつ、メディアの性格をeプラットフォームに譲ることになる。なぜなら、新聞もテレビも、このeプラットフォームにのみ込まれていくからである。
それでは、新聞社における「紙」はなくなるのか。そんなことはない。紙は相変わらず残る。しかし、今まで紙で見ていた(あるいは紙だけでしか見られなかった)内容を、紙で見ないことも可能となる。eプラットフォームの画面で直接、見ることが可能になるからである。 (同上)
すなわち、eプラットフォームの「プラットフォーム」とは、その多くを物理的特性上分別されてきた“メディア”の違いをのみ込み、メディアという形式に守られてきた各コンテンツを、同一の基盤の上に解き放つ。
むろん、この基盤こそが、eプラットフォームというわけである。
四月は残酷な季節だ。(T. S. エリオット「荒地」)
冬は人を温かくかくまってくれたのに、4月は「リラの花を死んだ土から生み出し追憶に欲情をかきまぜたり春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ」。
インターネットが引き起こす、メディアビジネスの大変革は、これから姿を私たちの前に表すというべきだろう。