ITmedia エンタープライズの記事から。
趣旨は、「ネットスーパーや電子チラシが好調」なのだということ。
背景には価格差が消滅すれば、重い買い物などは宅配が便利だという実利、そして、電子チラシで価格差を冷静に検討できる実利、さらには、主婦(女性)らにとっては、多少送料がかかったとしても、外出時の身なりなどに気を遣わなくても良いといった“実利”が浸透していることもあるらしい。
こう書けば簡単、当たり前の話のようだが、当該記事中で紹介されている「食卓.jp」の営業責任者のコメントでは、これが利益の出るビジネスになるのに10年かかったという。
日常にしっかり根を生やした仕組みに対しイノベーションをもたらすには、なにごともこれぐらいの手間ヒマはかかるものなのだ。
さて、以上は「なるほど」というところだが、この記事を読んで想起したのは、私自身が書籍(最近は、書籍に止まらず、エレクトロニクス関係、スポーツウェアなどに広がっている)を購入するにはamazon経由で、という図式になっているということだ。
どの程度“amazon経由”になっているかだが、たとえば書店で「買ってもいいかな」と思う書籍に出会っても、それをメモしておいてamazonにまとめて購入、と説明できる。
どうしてこういうことになってきたかを、以下のように考えてみた。
- 買う際はどうしても複数冊購入となるので、運搬が負担になる(宅配で届くのが便利)
- 店頭買いだと、衝動買いが過ぎる
- 結局、(個人の金銭感覚では)かなりの額を投じていると思うので、ポイントなどの余得が多少気になる
- 集積度の高い書店に出向く機会が減少している。amazonなら逆に毎日訪れている
- いつ・何の書籍を購入したか、の記録が整理できるので、購入記録を統合するため
これを眺めてみると、私の場合、amazon経由購入に傾いてきた動機としてもっとも大きいものは、「1.」「5.」だと合点がいく。
この2点に比べれば、「3.」は実利感覚としては薄い。
また、「4.」はありそうな動機ではあるが、むしろamazonに傾いた結果、書店に出向かなくなったという因果関係かもしれない。
改めて言えば、私にとり購入記録が統合的に残されることは、動かしがたい魅力なのだ。
自分の思考プロセスをとらえ返すと、
- 書籍を(買う)読む
- 人の話を聞く
- ブログやオンライン・メディアを読む
- 突然、アイデアを思いつく
特に(書籍の)読書体験から思考を動かし始める場合、突然の思いつくアイデアなど、直感に頼った思考より旋回が緩やかな分、深みがある気がしている。
思考しアウトプット(表現)する、というプロセスを自分自身の“業務フロー”と見なすなら、ポイント、ポイントでの情報が整理されて残ることには大いなるメリットがある。書名をはじめとして各種の書誌情報にすぐアクセスできるのは、思考や表現の精確性の基盤でもある。
このように、自身の活動に関わる情報の集約点がデジタル基盤に載ることは、自身の活動が自動的にログ化されることを意味する。
そして、デジタルな集約点がいったん機能し始めると、さまざまな活動のプロセスがつながり、的確に記録されるようになる。そして、このログの価値は、徐々に他の利便性を圧倒するようになる。
ちょうど、目の前に買いたい本があるのに、自動的にログ化される利便性のほうを優先してしまうように。
だから、(たとえばamazonが)デジタルの環をつなげていくことは、とても大きな競争優位を生むチャンスなのだ。
amazonが、私のすべての行動ログを取っていてくれれば、と思わず夢想してしまうのは、倒錯的だろうか?