凡庸、もしくは平凡であることは、ひとつの“力”となる。
輝かしい凡庸さというものが、この世には存在する。
12月30日の読売新聞スポーツ欄に掲載された、フィギュアスケートコーチのニコライ・モロゾフコーチのインタビューは、そんな感動を与える。
フィギュアスケートが、冬の“お茶の間の華”に定着して久しい。
私はTVを滅多に観ない生活をしているが、冬の、しかも土日の夕飯時に中継をされては、観ないわけにはいかない。
特に家人のほうは、男子、女子両方とも贔屓にしている選手がいるからなおさらだ。
しかし、人気と実力を兼ね備えた選手が輩出することで、アスリートの真剣な競技を扱うのが本来の使命であるTV中継が、まったく酷い。
人気と実力の両面でトップを走る浅田真央選手の扱いに至っては、中継に当たるアナウンサーやゲストらが、「真央」「真央ちゃん」の乱発。中継の演出もアスリートらの競技を冷静に扱うのではなく、まさにショーの世界に引きずり込むことだけに腐心する。
そんな中、モロゾフ氏の発言は的確だ。
「多くの日本選手を指導しているが、提言は。」との記者の問いに対して、こう答える。
(前略)日本は、選手をアイドル扱いし過ぎる。長い目で人間として成長を見守る支援体制があるべきだ。
我が意を得たり、とはこのことだ。本当にフツーのことを語っているだけではあるが、いま旬を迎えているフィギュアスケート“業界”に身を置く人としては、言いやすい言葉ではない。誠実で、実力のある人という印象を深めた。
同氏は同じインタビューの中の随所で、常識的だが、本当に重要な指摘をいくつもしている。
(今季復活を遂げた村主章枝選手に対して)何も変える必要はない。あなたは過去何度も世界選手権に出て、素晴しい滑りをした。自分の中にある以前の滑りを引き出せと言った。……私は、世界選手権に行きたいなら、完璧な演技をして、他がミスをするのを待てと教えた。
厳しく回転不足を取る今季の規則は、高難度に挑む選手を罰し、競技の未来のためにならない。(浅田選手も安藤選手にしても)回転不足で大幅減点され、跳ばない方がマシというのは理不尽だ。……
繰り返すが、同氏が語るのはわかりやすいことばかり。決して“玄人”受けすることを言ってはいない。
しかし、このようなまっとうな発言が、ショー化し過ぎた日本のフィギュアスケート界には重要なインパクトを与えると思えてならない。