自分でも興味深く思うのは、最近になって読書ソースが広がってきたことだ。
これはやや予想外の出来事だ。だんだん“読書”などに振り向ける時間は減るものだと思い込んでいた。
そうではないらしい。読むべき対象が広がるとは。
これまでは、書籍、Webコンテンツ(RSS経由で読むことが多い)、そして雑誌・新聞といったものが、自身の主たる読書ソースだった。ついでに言えば、“読書”の語感からは遠いが、Podcastコンテンツに対しても多少の時間を割いてきた。
iPhoneを常用するようになり、iTunes Storeで購入できるオーディオブックがソースとして、まず加わった。
ビジネス(啓発もの)から、古典までそれなりのラインナップが挙がっている。
そうこうしている内に、Webではすでに定着した「青空文庫」のiPhone用クライアント「soRa」(有料アプリ)が登場した。
これを購入して以降、古典作品を毎日のようにダウンロード、ヒマさえあれば読むことが多くなっている。
片や“オーディオ”、すなわち朗読を聴くという種類。他方は書籍同様、文字を追うものという違いはあるものの、私の嗜好を強く刺激したのは、いずれも古典作品を多く擁していることだ。
実は、最近になってリアルな書籍や雑誌の購読ピッチが落ちていることに気づいたのだが、自分なりに分析してみると、案外、こういった古典に時間を割いていることがひとつの要因として認識した。
オーディオブックの魅力は、古典をしっかりしたプロの朗読で聴くことで、大ざっぱに読み過ごしていた箇所への注意が喚起されること。実は目で観て耳で聴くのが理解やその定着には良いようだ。
問題は、漱石の「こころ」や「草枕」クラスの中編で、売価が数千円になってしまうこと。文庫の値頃感に比してやや痛い。
片方で「青空文庫」のほうは、まさに文庫に対する競合的な位置づけになる。
若いころ入手した文庫本が大量に手許にあるが(廃棄されずに残るのは“古典”的作品なのだ)、これらは組み版が8ポないし9ポの文字と、年齢上やや辛い状態に入っている。
大文字版もあるが、こちらは可搬性が落ちる。
iPhoneと「soRa」の組み合わせは、比較的良好な組み合わせであり、ニーズを満たしてくれる。
著作権上の制約で対象が古典となるが、これは私の嗜好に合うのでなんの問題もない。
ここしばらくは、漱石・鴎外・龍之介・光太郎……と、私にとり重要な作家らとのつきあいに染まっている。
それもいいではないか。