アルビン・トフラー『「生産消費者」の時代』メモ
トフラー 工業の時代、つまり「第二の波」の社会でわかったのは、規模が大きければ有利であるということでした。これは社会のマス化でした。工業では、生産対象となる製品を変えることが難しく、コストがかかります。……逆に言えば、何も変えずに大量につくることで、コストが削減できます。その結果、スケールが大きければ大きいほど経済的には有利になる「規模の経済」という概念が生まれたのです。
しかし現在では、それは必ずしも通用しなくなったと思います。知識に基く経済、つまり「第三の波」に向かうにしたがって、スケールの大きさは必ずしも有利ではなくなるということです。
※「マス化」 トフラーはしばしば「マス化」という言葉を使う。大量で均一なものに変化するという意味で、工業社会では労働者が大量に生まれて農村から都市に流入し、都市化が進む。そこでは大量生産と大量消費が対になった経済活動が行われ、またマスメディアがその活動を支える。
トフラー 『富の未来』では、時間に対する態度が変わりつつあることを書きました。これは加速というだけではなく、1日24時間7日のフルタイムの態勢にどんどん進んでいるのです。
「第二の波」の時代には「マスの時間」がありました。工場のラインがあったので、みんな同じ時間に起きて、同じ時間に出勤し仕事が始まるのも終わるのもベルが鳴って、時間にきちんと合わせてみんなが同時に行動するシステムだったのです。
トフラー わたしたちの社会の基盤をなしているのは、階層的で縦割りの官僚制度です。人びとはみな、所属する立場にとらわれています。情報はすべて上から下へ、命令によって伝達されます。「第二の波」の工業時代にこの官僚的な組織づくりは企業や社会の隅々にまで浸透しました。
しかし、今日では非効率的です。変化に素早く対応できないからです。ビジネスに成功するためには、上からの情報だけでなく、下からのさまざまな情報を入手する必要があります。問題解決のために臨機応変にプロジェクトチームを結成すべきです。今や、変化のスピードはきわめて速く、問題自体も常に変化しています。
トフラー 非常に多くの新しいサービスが今、必要になってきています。日本の社会でもそれが必要であるにもかかわらず、なかなか進んでいません。しかし、わたしにはそうしたサービスの分野が「第三の波」につながるひとつのパターンのように思われます。日本だけではなく、われわれみんながサービスの分野を過小評価しています。この変化がいかに根の深いものであるか。ただそれをちゃんと見ようとしないのです。
トフラー 生産消費者とは、個人が生産と消費の両面をもち合わせていることを意味します。いわば生産と消費の結合です。この言葉は、わたしが『第三の波』のなかで初めて考案しました。……
世界中で、経済の発展につれて人びとは金銭システムのなかに入っていくと直線的に予測しますが、そうではありません。ほかの人にやってもらってお金を払うのではなく、金銭システムから外れて、自分たちで自分のものをつくるという非金銭システムが生まれつつあるのです。
経済の発展は、それに対するツールを提供することになりました。その最たる例がたとえば写真です。わたしが子どものころは、写真を撮りたいときはフィルムを薬局などで買っていました。そして写真を撮り終えてまたフィルムを薬局にもっていくと、薬局ではそれをフィルム会社に送り、1週間後に現像したものが戻ってきます。それに対してお金を払って、現像した写真を見ていたわけです。ところが今は、デジタルカメラの登場で、撮影からプリントまで、自分で扱えるようになりました。テクノロジーが人びとに自分の富をつくる力を与えたことになります。……
わたしは、血圧測定のために病院に行って、医師にその代金を支払う必要がなくなりました。血圧計を買えば、自分で測れるからです。つまり、これまで誰かに支払っていた仕事を自分でするようになったのです。こういうことがいろいろな方面で増えているのです。……
テクノロジーの進化によって、わたしたちは新たな富を自ら生み出す力を手にしました。リナックスがよい例です。フィンランドの若いプログラマーが、既存のコンピュータのOSに不満をもち、自分ならもっとよいプログラムを書くことができると考えました。まるで趣味に興じるように、無償の労働を始めたのです。