Business Media 誠に掲載の記事から。原典は「産経新聞」の記事より。
妥当な形容詞に困るが、記事中の文言を借りるなら「健全な保守論壇」誌「諸君!」が幕を下ろすという。
引用記事では、40年続いた「諸君!」休刊の背景には、広告収入の悪化だけではなく、“若手の意識変化”があるという理解を示す。
雑誌メディアの存続が問われる時、おおむね“経済環境の悪化”が合い言葉のように用いられる。文芸春秋の月刊オピニオン誌「諸君!」の最終号となる6月号が店頭に並んだ。40年にわたり保守論壇の拠点のひとつであった同誌はなぜ撤退せざるをえなかったのか——。
「雑誌を取り巻く経済環境の悪化に尽きます」。文芸春秋の松井清人第一編集局長は休刊の理由を説明する。「諸君!」の発行部数は5年前の25% 減。オピニオン誌は、新しい水が流れ込まず、徐々に水位が下がる池にたとえられる。これに金融経済恐慌による広告収入の激減がとどめの一撃を加えたといえる。
雑誌を休刊する際の錦の御旗が、広告収入激減という論理だ。
引用記事は、この“経済環境悪化”にだけ理由を求めず、「文芸春秋(引用者注=出版社としての文藝春秋社を指す)の歴史認識が昨今はリベラル左派が中心になっている」や「論壇なんてものを、体を張って引き受けようという若い人が社内にいなくなった」といった、識者のコメントを織り込み、深層を読み解こうとする。
うがった言い方をするなら、“保守”陣営に属する「産経新聞」から、文芸春秋社内の保守陣営の日和見的リベラル化の動きにけん制をかけるべき狙いが、「『諸君!』撤退の背景は…」にあるのかもしれない。
さて、私の関心はと言えば、保守かリベラルか、という点にはなく、第三の視点にある。
たとえば私は、記事中に示された「主要月刊オピニオン誌発行部数」表に、視線が吸い寄せられる。
それによれば、「諸君!」は昨年で6万部強。5年前に比べて2万部減とのこと。
発行部数が5年前に比し25%減という。これが賑々しく語られている。
むろん、この部数減が取りも直さず、広告収入悪化を招いていることには同意する。
けれど、依然として5、6万部の発行部数(これから想像するに、実売は3万部平均と見るべきだろうが)は“(政治的)オピニオン”を盛る器としては、驚異的なボリュームと見るべきだ。
実売が1万部に満たないことが多かった、まさに“売れない月刊誌”編集長時代、私が得た苦い経験上の理解は、“一定の指向性を有する情報を、月々購入する読者層は、数千が限界”というものだった。
それは、同じような強い指向性を有する書籍が、おおよそ数千部台で推移することからも、真であると認識できる。
読者層の貧弱さを嘆くこともできる。だが、この真実から逃げ出すことだけはできないとも考えた。
この数千部を超えるような売れ行きを実現するには、その“指向性”をゆるめるか、複数の指向性を束ね直すしかないとも思った。しかし、指向性をゆるめるのは、当時の私がとるべき方向ではなかった。
「健全なオピニオン誌」の存在を嗤う気はない。ましてや、雑誌ビジネスの衰弱に同意したいとも思わない。
だが、5万部前後の読者に支えられながら、あっさりと店をたたむような投げ出し方は頂けない、と思う。
当事者(出版社だけでなく、執筆者、そして読者)が、存続してしかるべき情報メディアと信じるならば、数千部の単位まで糧道が狭まったとしても自活し得るビジネスを探るべきではないのか。
オンライン・メディアは、明らかにそのような分野に画期的な可能性を生み出しているのだ。
過去の輝かしい“マス”オピニオン誌時代への郷愁を、安易にキーワードにしてほしくない。