メディア事業の未来形を考えてきて、自分なりの整理がついてきたことがある。
すでに述べてきた(たとえば、こんなブログポストで)ことではあるが、情報提供が過多の側に傾いている時代、そして、情報消費者の自由度や決定権が強まっている時代に、メディアが強く意識しなければならないフレームワークがある。
これは、2つの軸により単純化することができる。
- 情報(=コンテンツ)には、微細度(粒度と換言もできる)という尺度がある。傾向としては微細な方向に需要が広がりつつある
- 情報を運ぶ形式(印刷? 電波? 特定機器?)が固定的であればあるほど、情報消費者にとり、そのメディアの影響力は限定的となる
この2軸である。これを用いて、メディア事業における現在から、未来を図式化してみると以下のようになる。
すでに、夏野剛氏とひろゆき氏の対談記事を通じて述べた(「シャープなメディア論=『ひろゆき&夏野コンビが語る…』」)ように、例えば「テレビのモデルって100万人が面白がらなきゃいけないわけじゃないですか。100万人みんなが面白いものって少ないと思うんですよね」(ひろゆき氏)は、1.情報の粒度が微細にならざるを得ない現在の傾向を指すと理解する。
また、同じく「5時の番組は5時に、9時の番組は9時に見てほしいというのは、箱としてのテレビや波としての放送を意識し過ぎちゃっているのではないかなと」(夏野氏)とは、2.伝達媒体の多様性の課題を指しているだろう。
情報の粒度を微細化していく方向、あるいは、伝達媒体を多様化(あるいは柔軟化)をしていく方向、それぞれについて、すでにブレークスルーを目指してのさまざまな取り組みが生じている。
ひとつだけ自分にとり明瞭なのは、現在から将来へと存在し続け、そして影響力を行使し続け得るメディア事業の存立形式は、上記図では、右上の象限に根拠を築かなければならないということだ。
逆な言い方をすれば、情報粒度の微細化と情報伝達形式の柔軟性を実現した上で、事業として存立する仕組みが必須なのである。
また、同じく「5時の番組は5時に、9時の番組は9時に見てほしいというのは、箱としてのテレビや波としての放送を意識し過ぎちゃっているのではないかなと」(夏野氏)とは、2.伝達媒体の多様性の課題を指しているだろう。
情報の粒度を微細化していく方向、あるいは、伝達媒体を多様化(あるいは柔軟化)をしていく方向、それぞれについて、すでにブレークスルーを目指してのさまざまな取り組みが生じている。
ひとつだけ自分にとり明瞭なのは、現在から将来へと存在し続け、そして影響力を行使し続け得るメディア事業の存立形式は、上記図では、右上の象限に根拠を築かなければならないということだ。
逆な言い方をすれば、情報粒度の微細化と情報伝達形式の柔軟性を実現した上で、事業として存立する仕組みが必須なのである。