「言論プラットフォーム」を謳う「アゴラ」に、松本徹三氏が表題のテーマで具体的手法を論じている。
ここで松本氏が書く「既存メディア」とは、新聞(社)を指している。
すでに、日経新聞社が近く日経新聞の電子版を発刊する計画であることは、よく知られている。
松本氏は、この計画についてこう述べる。
既存の新聞社と新技術のもう一つの接点は、Amazon社が提供するキンドルばりの「電子新聞」というものだと思いますが、これについても、耳に入ってく る日本経済新聞の価格などをみると、とても本気ではないように思われます。「現在の発行部数に影響を与えないように」ということを最大の眼目とする限り は、これも止むを得ないことなのでしょう。川に橋を架けることは決めたものの、渡し舟の収入が減るのは困るので、橋を渡るには高額の通行料を払わねばなら ないようにしているかのようです。
そこで、「私ならどうするか」というのが、このエントリである。
残念なことに、同氏はかつても、いまも「既存メディア」企業に在籍したことはないようだが、それでも「私ならどうするか」と具体論に言及することは、勇気が必要であり、また、アイデアとしても貴重な情報となる。
詳しくは本エントリを直接読むにしくはないが、ポイントを引用させてもらう。
- 「現行の日刊紙」と「インターネットと連動する電子新聞」の二本建体制にする。
- 電子新聞の基本的な編集方針は、上記に述べたように、インターネットとの連動のメリットが十分生かせるようなものとする。
- 日刊紙の内容は漏れなく電子新聞に含まれるようにする一方、日刊紙では、インターネット上で盛り上がっている事柄を時折紹介する。
- 電子新聞は、「一般・政治」「経済・産業」「社会・事件」「スポーツ」「文化・趣味・芸能」の5分野に大別して編集する。(一定分野に限っての購読も可能とする。)
- 各分野のトップページは、文字の大きさを変えたメリハリのきいた「項目表示」とし、現在の日刊紙のセンスを極力取り入れる。(項目にタッチすると記事が表示される。)
- 電子新聞の画面は、「写真・図表・漫画」と「文字」でページを切り分け、編集を容易にすると同時に、小さな画面でも見易くする。(将来は「写真」と並行して「動画」も取り入れる。)
- 電子新聞については、通常のインターネットでアクセス(購読)出来るようにする一方、既存の携帯通信会社のネットワークを使った配信も可能とする。
- 電子新聞用の端末機は、キンドルのような特殊な専用機は考えず、「通常のパソコン」又は「ネットブック」、「大型の画面を備えた携帯端末機(アイフォンのようなもの)」、又は、「通常の携帯電話機とつながる安価な拡大画面」の何れでもよいものとする。
- 電子新聞については月極めの購読料を取るが、日刊紙の購読者は割引とする。(電子新聞についても広告は掲載する。)
わがこととして引き寄せて、新聞メディアの将来形を考えると、私も同氏の施策、特に7、8、9に深く同感するものだ。
同氏は、「一流紙は、一般の読者から見れば、やはり『傲慢』なのです」と指摘する。
だとすれば、「インターネットの融合」がもたらすものは、氏も書くように「傲慢」な情報の一方的押しつけから、双方向になることであり、かつ、新聞を家庭や通勤電車の中だけでなく、自由に任意の指向にて読み、さらにいえば“活用”できることでなければならない。
適切な表現かどうかためらいがあるが、私は、新聞におけるこの2側面の「融合」化を、“新聞のオープン化”と呼んでみたい気がする。
新聞が生成するコンテンツを、読者や、読者と新聞の中間に存在するブロガーらオピニオンメーカーに対して、双方向なものとして差し出す。
論評や、各種の議論、ビジネスへの活用が容易となるよう、デジタル伝送網の上に置く。紙媒体ではリーチできない領域に、新聞コンテンツが進出するようにしなければならない。
すでに上で述べたことで充分に包括されることなのだが、それを「専用機器」や「引用などもってのほか」的デバイスに閉じ込めてはならない。
「融合」を待ち望む読者とは、すでにインターネットでの自由と創意工夫の自在さを知っている人たちでもあるのだ。
最後に、心情を吐露するなら、新聞メディアがプロプラエタリな世界からオープンな世界に乗り出す時、「一流紙」でもなんでもない、Webメディアを運営する身としては、より一層厳しいイノベーションへと押し出されることになるだろう。
楽しみでもあり、苦難の時が望見される。