アゴラへの投稿記事から。
この文脈に、私たちは希望をみるべきか。あるいは、絶望すべきなのか。
今私たちと一緒に働いている転職組が前職を辞した理由は、会社が傾いたからでもなく、会社の将来に見切りをつけたわけでもありません。また、彼らが私たち の会社を選んだ理由は、私たちの会社の給料が高いからでも、なんとかヒルズを夢見ているからでもありません。彼らが前職を辞した最大の、そしてほぼ唯一と いってもよい共通の理由は、IT業界のピラミッドの頂点にあってさえ、彼らの知的欲求を満たせる機会や、ソフトウェア技術者本来の醍醐味である、世界中の人に広く使われる技術や製品を自らの手で生み出すことのできる可能性が、将来にわたってほぼないと判断したからに他なりません。
“トップ層”のエンジニアにとり、「労働市場の硬直化」はマイナスに作用することはあっても、プラスではない。
が、現下の支配的な政治、社会的論調は、「労働者の(働く)権利を守る」というスローガンに押し流され、その結果として、「労働市場の(健全な)流動化」の逆の方向へと向かう。
「技術力、学力のあるトップ層に焦点を当てるのは良くない」という声が聞こえそうだ。
私は、では「トップ層」という冠を外したらどうかとも思う。「トップ」か「下位」かという問題なのではない。
問題は、「何も起きないで欲しい」との思いと、「何も起きはしない」という気分が円環する社会の気分に、ある。