個人的な話だが、いわゆる“ソーシャルメディア”に支払う時間が、ますますかさんでいる。
職業がら、商業メディアにはそれなりの注意を払っているつもりだ。しかし、ブログ系メディアに加えtwitterも加わって、ソーシャルメディアへ注ぐ時間資源の傾斜が進んでいる。
書籍は、表向き“ソーシャル化”が進んでいない分野だ。
ここは現在のところ、ソーシャル化の荒波をかろうじて免れている領域だ。
むろん、Amazon、Appleが電子書籍プラットフォームを活性化すると、この聖域にも荒波がやってくることになるのだろう。(私の言っているのは、“書籍が電子化する”ことではなく、版元・取次を介さずに、著者が電子書籍を出版流通させるだろうということだ)
そのようなわけで、書籍はともかく、雑誌や新聞のたぐいは、我ながら恥ずかしいぐらい購読数を減らしてしまっている。
私の職業的、かつ、個人的な興味は、どうしてそうまで“ソーシャルメディアの魅力に抗えないのか”ということ。
これまた恥ずかしいほどシンプルな興味、疑問である。
問いが素朴なぶん、私が得ている仮説も素朴だ。それはふたつ。
- パーソナルメディアとしての魅力=私たちの情報ニーズは、自らの圏域(趣味や関心、コミュニティ、職業といった領域)に関わる情報比率を著しく上げており、逆にパブリックな圏域(政治・世界・その他見ずあらが属さないコミュニティ)に関わる情報比率を下げているのではないか
- オピニオンメディアとしての魅力=既存の商業メディアが迫力を欠く“単刀直入な意見”“選択を指南する考え”が得られる。また、1.の領域に属することでもあるが、自らの圏域に関わるオピニオンを取得できる魅力ではないか
上記のいずれも、容易に反駁できる要素を含んでいる。
曰く「政治というパブリックな話は、ますます盛んである」「ご託宣より正確な事実が欲しいという声を聞く」と。
曰く「政治というパブリックな話は、ますます盛んである」「ご託宣より正確な事実が欲しいという声を聞く」と。
その通りではある。
だが、このような反駁の声は、実は既存マスメディア周辺(あるいは、その価値観を共有する分野)から発しているという傾向がないだろうか。
だが、このような反駁の声は、実は既存マスメディア周辺(あるいは、その価値観を共有する分野)から発しているという傾向がないだろうか。
再び曰く、「国民生活にとって大切な政治について」「狭い自分の周辺だけでなく、広く世界に目を向けなければ」と。
必ずしも間違いとは言えないこのような“パブリック”を仮装した論調が、既存マスメディア周辺から発せられれば発せられるほど、消費者は、自らの圏域に根ざした情報や、あるいは、対抗的な意見(かつてそれらは、情報発信力として脆弱だった)を重視しようとする意思を強めていると思う。
決して新聞などのオールドメディアは、人々の輪の真ん中には位置していない。
その証拠にアクセス数を自慢する報道機関のニュースサイトを見てみると、そのアクセスの大半はヤフーからの流入だったりする。ヤフーにニュースコンテンツを提供する見返りの一部として、ヤフー側に報道機関サイトへのリンクを置かせてもらっているのである。ヤフーというコミュニティに集まってきた人は、リンクをたどって報道機関のサイトへ一時的にジャンプしても、またヤフーに戻っていくのである。
つまりオールドメディアは、ヤフーの外側に置かれたコンテンツのストレージなのである。
それは決して商業メディアの価値を貶めることではないと、私はうすぼんやりと考え始めているのだが、どうだろう?