サイエンスライターの森山和道氏が運営する従事したBlogメディア「NODE」のポストから。
AmazonによるKindle事業の隆盛と、AppleによるiPad発表で、がぜん“電子書籍(流通)ビジネス”の話題が盛り上がっている。
「Kindleが勝つか、iPadが勝つか」的憶測がその中心かもしれないが、それと同じぐらいの比重で、電子書籍(流通)事業が成立するのかどうかが注目されている。
もし、電子書籍(流通) 事業が、これから成立するのだとすると、困ったことに(?)、日本では従来の主役だった大手出版流通事業者と、それとしっかりと同盟を組んできた大手版元(出版社)などが、その主役の座を降りることになりそうだとも言われる。
さて、以上は前置きである。出版産業やその流通産業の盛衰に強い関心があるわけではない。私自身の関心はと言えば、もしKindleスキームのような電子書籍(流通)事業が、これ以後成長を始めるのだとすると、版元(出版社)やそこで働く編集者のなすべき役割はどう変化するのかということだ。
冒頭の森山氏は、以下のような見解を示す。
私個人は、フリーランスの編集、校閲、営業、そしてそれらのマッチングサービスがこれからは必要とされるだろうなと考えています。「本を書きたい、出したい」と考えた著者の手助けをするエージェントの集団です。
もちろん、それらが「出版社」という形であっても構いません。そのほうが、引き受けた仕事をこなす「責任」面では安心ですしね。ですが、必ずしも会 社組織である必要もないと思うのです。いや、会社組織であっても、「会社のなかの個人」を直接指名して仕事をする、仕事をしたいという人が現状も多いのが出版業界ですが、これからはその傾向がますます強まることになるのではないでしょうか。
現在も、編集や校閲にはフリーランスの人が少なくありません。彼らの多くはこれまでの人脈で仕事をしていると思いますが、それらをより効率よく結びつけられるシステムがあれば良いなと思います。「個人」で仕事するということと、これは矛盾する面がありますが、単なる機械的マッチングだけではなく、口コミも使ったソーシャルネットワークのような仕組みが必要になるのかもしれませんね。
電子書籍時代に、一番大きな変化が求められるだろうなと思うのは、営業です。電子書籍時代になるとおそらく、これまで以上に流通チャネルの力が大き くなります。ここは佐々木氏が言っていることに全く同感なんですが、ネット上では、知られていないものは存在しないのも同然です。知られるためには営業しなければなりません。既に大勢のファンがいるような有名な著者や、一定数が毎年さばける大学の先生のような人たちを除けば、無名の著者が有料テキスト販売で稼ぐのは至難の業です。それを助ける営業には、これからは「プロモーター」のような、仕掛人としての能力も必要とされるかもしれません。
長く引用してしまって恐縮である。
同氏のような、そもそもフリーで食っていけるようなライターにとり、重要なのは下記のような機能(要素)だという。
- コンテンツを有する人(ライター、著者)を的確にサポートできる会社、ヒト
- 生のコンテンツを洗練させる(付加価値を加える)編集、校閲、マーケティング機能の提供
- 特に、需要のあるコンテンツ企画を立てる、あるいは、需要を喚起させるプロモーター(マーケター)的ノウハウ
面白いことに、これらはまともな版元の編集や営業なら、程度の差異はあれ従来から行っていたことである。
では、それがどう変わるというのだろう?
現時点での私の理解はこうだ。
自分の胸に手を当てても思うことだが、従来、版元(の編集、営業)は、読者需要についてのみ思いを巡らしていた。
需要のあるテーマ、需要のある書き手を、需要を喚起できそうなパッケージ(形式や価格など)で提供する……に焦点を当てていた。
ライターや著者は、その目的のためにアッセンブリされる存在でしかなかった。
どうしてそうだったのだろう?
出版事業は多くの場合、20世紀の工業製品の販売に似ており、多くの需用者(読者)が求める共通需要に対して、なるべくミートする書籍を、多く製造(印刷)し提供価格を下げ、さらに多く販売していく……という原理で回転してきたからだ。
つまり、その基本原理は“少品種大量生産・販売”という、まさに工業製品モデルそのものだったわけだ。
電子書籍(流通)事業では、大量生産しなければならないという敷居が劇的に下がる。
このままでは、流通過程(取次および小売書店)は不要となってしまいそうだ。さらに、従来なら版元が、自ら得る収益の範囲内で担保してきた書籍の制作プロセスもほとんど消滅、もしくはライター自らできる範囲にまで縮減しそうな気配だ。
これらによって、少品種大量生産モデルが、自ずと多品種少量生産モデルへと変化を開始することだろう。
あらゆる要素から、ライターや著者は、アッセンブリされる対象から、自ら出版について積極的に行動できるような存在になっていくことだろう。
言い換えれば、リスクの非常に少ない“自費出版”モデルが見えてくるのだ。
現在のWeb上のコンテンツがそうであるように、品質上のダイナミックレンジはあるものの、デジタルコンテンツが電子書籍の形式をとって多様かつ大量に提供される環境へと近づくはずである。
さて、こうなってくれば、マイナー分野のコンテンツホルダーたるライターや著者に取り、ビジネスはそもそもロングテール型となる。多品種少量生産モデルである。
単品ごとに得られる収益規模は、小さい。
その代わり、コンテンツホルダー(コンテンツ供給者)自らが事業者であり、(アッセンブリされるのではなく)自らの論理でコンテンツを提供していくことになるだろう。
新たな時代の新たな論理は、供給者の論理が鍵を握る。
20世紀型製造モデルは、いったん否定されることだろう。
ミニマイズされた電子書籍出版事業に、従来の版元編集や営業が関与できる余地は少ない。
ただし、供給側の論理が勢いを得る時代に、それを助け、さらに言えば、需用側の論理とのマッチングを行う仲介者の能力は、重みを持つに違いない。
問題は、単品ごとのビジネス規模が小さくなること。いかに一つひとつの仕事を合理的、効率的に軽量化していけるか、これまた大きなスキル上の課題となるはずだ。
最後は走り書きになってしまった。機会を見て手を入れてみたい。