The New York Timesのテクノロジーブログ「Bits」に、Nick Biltoがこんなブログポストを寄せている。
タイトルは、「'Controlled Serendipity' Liberates the Web」だ。
Surfing the Web has become even more of a challenge as more content appears online. We are asked to navigate any number of new obstacles when finding new content: which site should I click through to read the latest earthquake news? How many blogs should I check on a daily basis? What if I miss something? Do I read the comments everywhere, too? Which social network should I update in the morning, noon or night? The list goes on.
But we are solving the problem, through our aggregation. We’ve reduced the fear of missing something important because we share “controlled serendipity” with others and they with us. And without this collective discovery online, I couldn’t imagine trying to cull the tens of thousands of new links and stories that appear in the looking glass on a daily basis.
正確を二の次に、雑ぱくに前後を含め要約すると、Bilto氏が述べるのはこんなことだ。
ブログ記事を書き終えたら、それをツィートする。同じことをFacebookやそのほかのソーシャルメディアでもそれを行う。それが終わると、またWebでニュースを探し回り、知人やフォロワーへその評価を伝える——。
このように、単なるコンテンツの消費者ではなく、自らが、あるいは、他人がキュレーターとして振る舞うことが当たり前になっている。お気に入りコンテンツへのリンクを分け与えるのだ。もちろん、無償で!
ある技術者は、毎日平均して15個のニュースをTwitterでフォロワーと共有している。
ある女性ブロガは、彼女の数千のフォロワーに対して良いコンテンツを共有する行為を、「Controlled Serendipity(仕組まれたセレンディピティ)」と呼ぶ。いまやWebを通じて提供されるコンテンツが増え続けるにつれ、的確に情報を見て回ることはチャレンジになっている。
どれほどのニュースサイトを、ブログを、コメントを見て回れば良いのか? 延々と見るべきリストは続く……。ぼくらは、この問題を「アグリゲーション」を通じて解決している。「仕組まれたセレンディピティ」によって、当たるべきコンテンツの見落としを、人々との協業によって減じている……。
「キュレーター」とは、美術館などに所属して芸術作品などの客観的な評価を行い、それらをどう鑑賞すべきかなどを説明したり、時にその展示企画などを行う学芸員を想像すればいいだろう。
「単なるコンテンツ消費者ではなく、キュレーターとして振る舞う」とは、見かけたニュースやおもしろ動画などを読んで、見て終わり、ではなく、それを評価し、人に伝えたりする振る舞いを総称していると理解しよう。
見ておしまい、というコンテンツ消費からキュレーターへ。
この“共有”の思想に基づいた振る舞いが、どうして顕著になってきたか。
Bilto氏が挙げた例として女性ブロガが語る「仕組まれたセレンディピティ」という考えが興味深い。
「セレンディピティ」をWikipediaではこう説明している。
セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。
セレンディピティとは、思わぬ(素晴しい)発見を得ることだ。言い換えれば偶然による(素晴しい)発見・気づきだ。
これを「コントロール(仕組む)」するとはどういうことか?
自分がすてきだと思うコンテンツをつねに他人に(無償で)提供すること。そして、同じように、多くの人々がすてきだと思っているコンテンツを提供してもらうこと。
セレンディピティを発生させるには、このような共有を下地とする振る舞いを続けること。
どうやらこんなコンセプトと理解すればよさそうだ。
偶然である事象を引き寄せる努力。もしくは、その偶然を分かち合うよろこび。
喜ばしき偶然を引き寄せる戦略が、単なる消費ではなく(相互に)キュレーターであろうとする行為の下地にあると理解すると、いまWeb世界で起きていることの意味が少しだけ見えてくるのではないか。
PS. ちなみにNick Bilto氏の当該ブログには、@t_seki氏のツィートで出会った。