例年、年末年始のこのころ、真剣に取り組んでいることがある。
当たり前のことだが、それは大掃除である。(笑)
冗談を言うつもりはない。
自室の大掃除、もっと言えば掃除と言うよりも、不要物の廃棄、整理整頓を実施すると、クリエイティブな気分が喚起されることに気づいたからだ。
もう少し詳細に表現するなら、クリエイティブな気分と高揚感が生じる。
なにか、クリエイティブなことができそうな気分になるのである。
特に机上、もしくは机周辺は重要だ。
机上を整理することの重要性を語る人は多い。
元トリンプ・インターナショナル・ジャパン代表の吉村浩一郎氏の近著『仕事が速くなる プロの整理術』でも、その帯に「机をスッキリ! 頭もスッキリ!」とある。
もちろん、「頭もスッキリ!」は単なる錯覚かもしれない。
しかし、そもそもクリエイティブな仕事とは、精神的なものによるところが大きいはず。
その“精神”が高揚し、前向きになっていることは重要だろう。
美しいとか高級家具があるわけでもないので、自室の全面公開は避けるが、部分的に。
上記左の写真が、机に向かって座った際の正面の図。
いまはiPhone、大型ディスプレイ、ノートPC(MacBook Pro)、そして外付けキーボードぐらいしか机上にない。いー気持!
少し脱線だが、最近、このMacBook ProのためにGriffin Elevator Laptop Stand(要するに本体を机上から浮かすためのスタンドだ)と、併せてApple Keyboardを購入した。
Laptopスタンド購入の目的は、MacBook Pro内蔵ディスプレイとCinemaディスプレイの高さを揃えて見やすくすること。
目標はそれなりに満足している。二つのディスプレイの間で、視線の無駄な動きが減ったと思う。
さらに、期待していなかったことで大いに満足しているのが、机上の整理整頓効果だ。
見ての通り、ディスプレイとPCがともに浮き上がっている分、そこにスキャナや今回購入したキーボードを押し込める。
さらに脱線だが、右上の写真は、デスクに向かって左手を写したものだ。
デスク脇に安い書棚を配置し、デスクと書棚の間に生じたデッドスペースに、小さなスチール製ワゴンを置いた。
書棚とは言え、本は置かず封筒に入れた書類等を時系列に置く。ご存知、野口悠紀雄氏の「超」整理法だ。
また、デスク脇のワゴンには、時々しか使わないノートPC(Windowsマシンや旧MacBookなど)と書籍、そして各種ケーブルなど小物を配置する。
本格的な書棚は別室にある。このワゴン上には、“読みたい”“読まなくては”というホットな状態の書籍を“寝かし積み”する。
さらに、読みかけの本だけ立てておき、目立たせる。
こんなことを延々と書くのは、机上のディスプレイとPCを中心にして放射状に、自分の生産性に関わる重要なゾーンが広がっていると感じているからだ。私にとっては、ささやかだが重要な認識である。
以下のように考えている。
デスクに向かい着席した状態で、正面方向180°ぐらい、かつ、手を伸ばせば届く空間が、ホットゾーン。
背後で、イスを滑らせると手が届く場所が、ウォームゾーン。
そして席を立ち歩いてリーチするような空間は、コールドゾーンだ。
この三空間をうまく活用し、かつ、目の前がクリーンである(ノイズが少ない)状態を構築するのが、自分の(自宅での)生産性向上効果を生むメソッドだと思う。
もっとも、この空間活用については、まだまだ不徹底だ。
ホットゾーンながら、1年にわたり手が触れないような小物も多い。
さらに、クリーンな状態を保つための作業プロセス(ルーチン)も未確立。
いま、片付いてほっとした気分の時に、このような空間利用とルーチン確立に重要性を肝に銘じておかなければと思う。
まさに「机上を整理することは、頭脳を整理すること」なのだと。
追記:本稿をポストしてしばらくして思い出した。旧ATTを率いた米国きっての名経営者と言われる、ハロルド ジェニーンは主著『プロフェッショナルマネジャー 58四半期連続増益の男』でこう書いた。
多年にわたる私の経験からいって、机の上になにも出ていない、きれいな机の主は、ビジネスの現場から隔離されて、それを他のだれかにかわって運営してもらっているのだ。もちろん、たいていの場合、本人はそう思っていない。彼は会社の長期戦略を練っているのだ。経営を受け持っているのは社長で、その机の上にはさまざまの報告書や社内メモ類が山をなしている。もし社長の机の上もきれいなら、きっと執行副社長が一人で背負いこんでいるのだ。いずれにしろ、トップ・マネジメントのだれかが会社を運営しているはずだ。
……中略……
電話がかかってきたり、忙しさを縫って会議に出ようというような時、必要な情報がすぐに手にできなくてはならないからだ。だから、それは机の上になくてはならない。ほかにしようがないのだ。秘書を呼んで、一通の報告書と二つのメモを、あれとあれだと説明をして出させるなどという悠長なことはしていられない。腕を伸ばせば届く、そこにあるようにしておきたいのだ。
確かにジェニーンの表現は、“悠長な”MBA上がりのエグゼクティブを黙らせる迫力がある。
さて、とは言っても、机の上の書類の山を自分が支配しているか、そうでないかは大きな違いだ。ジェニーンは自らが支配している。そう言いたいのだろう。
同著を長く引用するのは避けるが、ジェニーンが手許に置いた書類、常に持ち歩けるようにしている書類の量はすさまじい。
それだけの種類の情報を、自らの配下に手なずけることができるかどうか、経営者の器量に鋭く関わる点だろう。