近代人は、ただ一回の読書によってすっかり底がわれてしまうような浅薄な書物の洪水のため、どの書物も結局つねにおなじものであり、一回の読書で読み了え うるものと考える傾きがある。
が、事実はそうでない。このことを現代人もやがて徐々に悟るようになろう。書物のもたらす真の愉悦は、それを何度でも読みか えし、そのたびにそれが以前とは異なったものであることを知り、他の意味に、すなわち意味の別次元に出あうこのとのうちにあるのだ。
例によって、この場合 もやはり価値の問題である。要するに吾々は多量の書物の氾濫に圧倒されてしまって、書物が元来貴重なものであること、宝石や美しい絵画とおなじように貴重 なものであり、それに見いることいよいよ深ければ深いほど、そのたびに深遠な経験を掬みうるものであるという事実をもはやほとんど理解しえぬかにみえる。
おなじ書物を時をおいて六たび読むことは、六冊の異なった書物を一度ずつ読むことよりどれほど実になるか知れないのだ。なぜなら、ある書物が六たびの読書 を要求しうるものならば、かならずやそのつど諸君をますます深い経験に導き、全霊を――情感と知性をひっくるめた魂の全体を――豊かにしてくれるに相違な い。
D. H. ロレンス 著・福田恒存 訳 『黙示録論――現代人は愛しうるか』より(本文に改行はなく、引用者が任意に補った)