Web野球教室は、非常に丹念なWeb解説メディアだ。このようなチュートリアル系のコンテンツには、オンライン・メディアの活用法として大きな可能性を感じる。
特に、まだまだ、文字と写真を費やしての解説が中心だが、今後はストリーム・メディアが威力を発揮することだろう。
スポーツ(に止まらないが)のeラーニングもこれから成長する市場と思える。
マサカリ木俣の野球教室~バッティング編~ 第13回-WEB野球教室-スポーツ・イベント情報|ヒマラヤ himaraya via kwout
ところで、バッティングの原理について考えてきたことがある。
この「マサカリ木俣の…」のような、プロ(あるいは元プロ)の丹念な解説に耳を傾けていても、やはり解消されない種類のことがいくつも残る。
そのひとつに、「押し手」と「引き手」の機能上の差異がある。
これは、自ら右と左の両打席での打撃を実践してみて痛感する、バッティング上の根本原理に関連する議論だと思う。
私の場合は、右利きであり、当然、右打席に立って打撃を行うのが、ごく自然な流れ。
ただし、昨今の野球競技にあっては、右投げ投手との関係、そして1塁へと向かう走塁上のアドバンテージなどで、人工的に作った左打者が多くなっている。
私も、見よう見まねで、左打席にも立つようになってン十年経った。
右利きの自分が、左手で箸を持つようなもので、最初の頃は、あり得ないことだが、自打球を顔面に受けたりもした。
それはともかくとして、左打席で打ってみたいという思いの向こう側には、王貞治、ウォーレン・クロマティ、そして淡口憲治など、往年の左打者が存在する。
いずれも円熟味が増した時期には“広角”な打球を放つようにはなっていたものの、本質的な魅力は、ライト方向への低くて強い弾道の印象である。
このラインドライブ系(高く上がらず、ライナーで伸びていく種類の打球、もしくはその弾道)の打者は、単なる打者の特性というより、左打者に多いとの印象を残す。
自分自身を観察しても、左打席での打撃では、慣れてくるまでの長〜い期間を除けば、強い(?)打球が、低くかつライン際に多く出るようになっているのだ。
左打者の多くに共通する性格をどう考えればよいのかは、長い間の私にとっての宿題だった。
最近、本「Web野球教室」を読んでみて、木俣氏が用いていた「引き手」「押し手」の概念を使えば、一歩二歩先へ進めると納得した。これを簡略に書き留めておきたい。
まず、「引き手」とは何か。打者にとってピッチャーに近い方の手である。左打者にとってはすなわち「右手」である。
「押し手」は、その逆である。
少しでもバットを振ったことがある人なら理解するが、引き手は文字どおりバットを振り抜くための初動を担う。
木俣氏のリクツでいえば、ボールを遠くに飛ばすには、引き手では足らず押し手がフォロースルーという点で貢献することになる。
すなわち、引き手も押し手も、ボールを遠くまで飛ばす役割を共有させられているのである。
また、的確なボールへのコンタクトのために、引き手の肘の使い方などに言及されている。
私に言わせると、プロ独特の矛盾にみちた議論である。
つまり、引き手も押し手も、ボールを遠くへ飛ばすための協力をし、また、ともにバットコントロールを行うのだろうか?
引き手と押し手の両概念は使えるものだが、議論の構成は、やや異なるものと言いたいのである。
私の仮説は、引き手はインパクトに向かうバットのスイングスピードを導く。この点で木俣氏らと大きな違いがあるわけではない。
問題は、押し手の理解である。こちらは、バットがボールに的確にコンタクトをするための“コントロール”を担う、と理解すべきなのである。
省略して言うことになるが、人工的な左打者の場合、引き手は利き腕である。すなわちインパクトに向けた力を発揮しやすい組み合わせとなる。その結果、強い打球が飛び出しやすいのではないか。
他方、押し手は左手であり、それはコントロールの役割を担うが、こちらは自然な利き腕が果たす能力より劣る組み合わせである。
このように仮説を持つと、(私が印象として持っている)左打者の多くが、強い打球についての特徴を持ちながら、ヒット範囲が比較的狭い(反対方向へのヒット少ない)ことの背景を説明しやすくなる気がする。
自身の実践的経験でも、右打席であれば柔軟にボールとのコンタクトができる反面、左打席に比べてややインパクトが劣後するケースが多いのである。
引き手はインパクトの力に寄与し、押し手はコンタクトのコントロールを担う。
むろん、木俣氏が語るように押し手が協力して大きなフォロースルーを生み、打球を遠くへと飛ばすという点を、否定するものではないのだが。