太宰治作品の特徴は、反語的表現に満ちていることだ。
時に大げさに響くこの表現に、思わず反発を感じる読者も多いはずだ。
私はと言えば、太宰によるこの哀切をともなう鋭い表現形式に魅せられてきた。
表現が、外部の標的を切り裂くと同時にみずからの血しぶきをあげてしまうような、切れすぎる刃物であるという点に魅せられてきたと言える。
例を挙げる。
午後三時か四時頃、私は仕事に一区切りをつけて立ち上る。机の引出しから財布を取り出し、内容をちらと調べて懐にいれ、黙って二重廻しを羽織って、外に出る。外では、子供たちが遊んでいる。その子供たちの中に、私の子もいる。私の子は遊びをやめて、私のほうに真正面向いて、私の顔を仰ぎ見る。私も、子の顔を見下す。共に無言である。たまに私は、袂からハンケチを出して、きゅっと子の洟を拭いてやる事もある。そうして、さっさと私は歩く。子供のおやつ、子供のおもちゃ、子供の着物、子供の靴、いろいろ買わなければならぬお金を、一夜のうちに紙屑の如く浪費すべき場所に向って、さっさと歩く。これがすなわち、私の子わかれの場なのである。出掛けたらさいご、二日も三日も帰らない事がある。父はどこかで、義のために遊んでいる。地獄の思いで遊んでいる。いのちを賭けて遊んでいる。(「父」)
「邪魔をなさるお方もございませうし、――」
「それもある。へんな用心をして叔父上の上京をさまたげてゐる人もある。けれども、それだけでは、ないんだ。叔父上には、京都がこはいのです。」
「まさか。あれほどお慕ひしていらつしやるのに。」
「いや、こはいんだ。京都の人たちは軽薄で、口が悪い。そのむかしの木曾殿のれいもある事だ。将軍家といふ名ばかり立派だが、京の御所の御儀式の作法一つにもへどもどとまごつき、ずんぐりむつつりした田舎者、言葉は関東訛りと来てゐるし、それに叔父上は、あばたです、あばた将軍と、すぐに言はれる。」(「右大臣実朝」)
私はすぐに料亭から走り出て、夕闇の道をひた走りに走り、ただいまここに参りました。そうして急ぎ、このとおり訴え申し上げました。さあ、あの人を罰して下さい。どうとも勝手に、罰して下さい。捕えて、棒で殴って素裸にして殺すがよい。もう、もう私は我慢ならない。あれは、いやな奴です。ひどい人だ。私を今まで、あんなにいじめた。はははは、ちきしょうめ。あの人はいま、ケデロンの小川の彼方、ゲッセマネの園にいます。もうはや、あの二階座敷の夕餐もすみ、弟子たちと共にゲッセマネの園に行き、いまごろは、きっと天へお祈りを捧げている時刻です。弟子たちのほかには誰も居りません。今なら難なくあの人を捕えることが出来ます。(「駈込み訴え」)
一群の「老大家」というものがある。私は、その者たちの一人とも面接の機会を得たことがない。私は、その者たちの自信の強さにあきれている。彼らの、その確信は、どこから出ているのだろう。所謂、彼らの神は何だろう。私は、やっとこの頃それを知った。
家庭である。
家庭のエゴイズムである。
それが結局の祈りである。私は、あの者たちに、あざむかれたと思っている。ゲスな言い方をするけれども、妻子が可愛いだけじゃねえか。(「如是我聞」)
けれども、私にこの小説を思いつかせたものは、かの役人のヘラヘラ笑いである。あのヘラヘラ笑いの拠って来る根元は何か。所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。
曰く、家庭の幸福は諸悪の本。(「家庭の幸福」)
もう充分すぎるに違いない。
暗殺者公暁に「(実朝は)将軍家といふ名ばかり立派だが、京の御所の御儀式の作法一つにもへどもどとまごつき、ずんぐりむつつりした田舎者」と軽侮させ、密告者ユダには「もう、もう私は我慢ならない。あれ(=イエス)は、いやな奴です。ひどい人だ。私を今まで、あんなにいじめた」と叫ばせる。求めた愛が得られぬとき、イノセントで高貴な人を地面に叩きつけ、散々になぶってみせるのである。
また、桜桃を子には与えず「父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事」と語らせる。さらには、「父はどこかで、義のために遊んでいる。地獄の思いで遊んでいる。いのちを賭けて遊んでいる」と言い、穏便な平和、家庭の愛を意図して踏みにじってみせる。「曰く、家庭の幸福は諸悪の本」であると。
これら破壊力たっぷりの反語的表現の渦中から、ふたつのものが浮き上がってくる。
「(家庭の)幸福」、そして、「義のため」である。
繁栄、平和、笑顔……。これら根源には、ひとは家庭(=みずから)の幸福を追求するものであるという命題を、ひたすら外挿して得られる価値観がある。
そしてそれは、ついに「世間」という集合体を仮装するに至る。そうであるがゆえに、揺るぎない強固な岩盤を堆積しているのである。
「義のため」に生きる者とは何か。
上の家庭の幸福に背を向ける者であり、同時にそこから排除される者のことだ。
「世間」からひたすら超越するが故に尊敬されもするが、同時にそねみの対象となり、機会あれば地面に引きずり倒される運命を背負うのである。
では、太宰の作品と生涯の軌跡は、この「幸福」からの離脱をこそ描き切ったのだろうか。
答は、イエスでありノーだろう。
「求めた愛が得られないとき」と、すでに記した。
生涯を「家庭の幸福」を求めて得られなかったのが、実存者太宰治でもある。
「義のため」は、太宰の生理を通じて表出する指向性のことである。
「幸福」を求めつつ、その裏面にべっとりと付着する「世間」の醜を、鋭い生理的嗅覚は嗅ぎ分けてしまうのだ。
そこには、生理こそが太宰を世間から遠ざけ、そして「義」のほうに向かって押し出してしまう構図が見えてくる。
源実朝の甥である公暁が、実朝を暗殺する。他の弟子以上にイエスを愛したユダがイエスを売る。子を愛する父が、家族に背を向ける。
太宰を読んで数十年。長くこのアンビバレンツが、私にとり魅力であり謎であり続けてきた。
太宰は「家庭」の人か、「義」の人であるのか。
暗殺する人であるのか、される人なのか。
あるきっかけが生じて、数十年ぶりに「全集」を開いた。
読まれることももはや少ない随筆のページを繰っているうちに、そこに「春」が私を待ちうけていた。
改めての、邂逅である。
先日、にわかに敵機が降下して来て、すぐ近くに爆弾を落し、防空壕に飛び込むひまも無く、家族は二組にわかれて押入れにもぐり込みましたが、ガチャンと、もののこわれる音がして、上の女の子が、やあ、ガラスがこわれたと、恐怖も何も感じない様子で、無心に騒ぎ、敵機が去ってから、もの音のした方へ行って見ると、やっぱり、三畳間の窓ガラスが一枚こわれていました。私は黙って、しゃがんで、ガラスの破片を拾い集めましたが、その指先が震えているので苦笑しました。一刻も早く修理したくて、まだ空襲警報が解除されていないのに、油紙を切って、こわれた跡に張りつけましたが、汚い裏側のほうを外に向け、きれいなほうを内に向けて張ったので、妻は顔をしかめて、あたしがあとで致しますのに、あべこべですよ、それは、と言いました。私は、再び、苦笑しました。(「春」)
ここに、30年ものあいだ、私の心の奥の方に引っかかっていた宿題への解答が存在していたのである。
太宰は、割れた硝子窓の修繕で、油紙の裏を“外”に向けて張った。美しい表を内側にして。
「あべこべですよ、それは」
奥方からやんわりと批判された衝撃を、太宰は美しい随想表現へと昇華させている。
太宰こそ「家庭の幸福」の人である——。
そして、それを世間知は「あべこべですよ」と正すのである。
空襲のさなか、太宰は短くも、家族とともに安定と静穏という「幸福」を見ていた。
しかしそこから、意を決するように、戦後の苛烈で短い、最後の軌跡を描き始めるのである。
「義」へと向かう、それからの作家の苦難の歩みは人の知るところである。