6月の下旬に、ほとんど気の迷いぐらいのきっかけで、twitterを始めた。それから、おおよそ1カ月半というところ。
スタートから約2週間ぐらいで、一度感想は記した(「twitter、始めてみたけれど。」を参照)。
このポストでは、その後の、極私的twitter観(感)をメモしておく。
現在フォローしているのは17の方々。
とはいっても、自社メディアのtwitterサービスが7つ。(笑)
twitterで読むのが適しているかな…と購読している他社メディアサービスが4、5つ。
タレントtwitterが1つ。(さらに笑)
残りは知人系である。
他方、フォローされている数だが、これは、いつのまにか100を超えている。
どうしてこんなに人がやってきてくれるのか、いまだに不思議さがぬぐえないでいる。
わざわざ詮索するのは抵抗感があるので、これらの人たちがどのような人たちか、実はよく分からないままとしている。
日頃、“メディアはターゲティング命”と言っているのとは、正反対で、オーディエンスのことをつかめぬままにしている。
それでも非常に大ざっぱだが、感覚的に整理してみる。
まず、1/3が会社の同僚たちだ。
そして、1/3が社外の知人系。
以上は、顔見知りの人々である。
最近の傾向だが、いまあまり顔を合せなくなった知人系が、思い出したようにフォローしてくれることが数件。
そして、残りの人たちは、キーワード検索や“知人の知人”のような、間接的に私のtwitterに到達してくれた人である……と見なしている。
もっとも、このグループには、機械的なフォローが含まれていそうなのでもあり、はっきりしたところはわからない。
明らかにスパム目的のフォローは、ブロックしている。
それにしても、繰り返しだが、どんな目的や関心で私のtwitterをフォローしてくれているのか見当が付かないので、どうおもてなししてよろしいのか。結果的に、自分流をいい加減に貫いている。
それはさておき、使い始めて自分にとってのtwitter用途は、大きく分けて2つとなってきた。
ひとつは、メディア(のRSSサービスのような)購読である。
自社メディア、他社メディア、あるいは独自の視点で、各種のメディアをアグリゲートしてくれている人や機械。こういった情報をリアルタイムに眺める。気の利いたクライアントを使うと、若干ビューの絞り込みができるのかもしれないが、いまのところそんな工夫もせずに、ただ、垂れ流し的に見ている。
これは、購読者側(つまり、フォロー)の利用価値である。
もうひとつが、自分の脳内に「!」と生じたことを、深く考えずに発信する。
これは、発信者側の利用価値である。情報発信ツールである。
誰に対しての情報発信かは曖昧だ。
だれかがその個々の断片に関心を持ってくれているかもしれないが、基本的に自分にとってのメモ(記憶装置)でもある。
この二つが重なり合っているのが自分にとってのtwitterである。
元来、それらはtwitterでなければできないことではない。
けれど、それがtwitterですることにフィットしていると感じるのは、私にとっては、iPhoneのような手になじむモバイルデバイスの存在が相乗効果をもたらしているようだ。いずれにせよ、すき間時間を縫って接するtwitter。
その利用モデルには、iPhoneは欠かせないのだ。
さて。いつ止めてしまってもおかしくないつもりで始めたtwitterだが、いまはもう少し続けてみる気になっている。