すっかりサボっていたブログ投稿。なんとかしてリハビリから始めて再開したいと思っている。
これはその初回。
なるべく軽めの話題から肩慣らしをしてみたい。
GW明けから、会社で使うノートPC、ThinkPadのリプレースに取り組んでいる。
以前のものは、2004年後半から長生きしてきたコンバーチブル型Windowsタブレット機(!)x41だ。
キーボードのタッチも良好で長く私の仕事を支えてくれた。
ただし、スピード、ストレージともに限界を遙かに超えた状態で、もはや退任の時期だ。
新規に会社から支給されたのは、LenovoブランドとなったThinkPad x200。
CPUもメモリも、現代のマシンとして見てロースペックだが、その辺りは本ポストのテーマではないので、省略。
このPCの新旧交替作業で、ひどくシリアスに感じたのが、“PC”という道具の魅力低下と機能的限界である。
あらかじめ断っておくが、本ポストは特定メーカー製品について論評する意図はない。
というのも、会社ではこのThinkPadブランドのノートPC、そしてHP製のごくごく標準的なデスクトップPC、そして、自宅では数種のMacとそれに先行して、VAIOブランドのノートPCを使っている。が、感じるのは、これらに共通する「魅力低下と機能的限界」だからだ。
魅力の低下から述べよう。
「取り組んでいる」と書いた通り、このリプレースは継続中である。
理由は簡単。ソフトウェア類のインストールが非常に時間を要しており、いまだ完結していないからである。
ソフトウェア類を一挙に“引っ越し”してくるようなユーティリティツールもあるようだが、5、6年も使い続けてきたこともあり、旧い使用環境から決別したい気分もあって、改めての作業環境の一からの構築に取り組んでいる。
したがって、とてもではないが1、2時間では終わらない作業になってしまった。
IMEひとつとっても、デフォルトはMicrosoft IMEだが、個人的にはATOK。その上、辞書やキー割り当てなどを引き継がないと、仕事の生産性が落ちる……などとやりだすと、業務の空き時間を縫って取り組んですでに数日経つが、なかなか終了しない。
これはどうして大変な苦役なのだ。
過去は、どうしてこんな苦役を許容できたのか、わがことながら首をかしげてしまう次第だ。
この点について考えてみると、みずから引き出せる答えは以下のようなポイントに気づかされる。
以前は、PCを乗り換えるごとに、(CPUやメモリ、HDDの増量で)快適さが増した。
また、アプリケーションも頻繁にアップグレードを重ねており、リッチな体験へ引っ越しできたのだ。
いまは、違う。
今回のインストール作業では、5年ぶりなのにOSは相変わらずWindows xp(実際2GB程度のメモリなので、このOSがフィットする)。
仕事の必要でインストールするOfficeやその他中心アプリケーションにも、代わり映えはしない。
要するに、乗り換えることによって世界が一変するようなわくわく感は得られなくなっているのだ。
また、5年前との比較で大いに進化したソフトウェア群は、基本的にWebサービス系、つまりクラウド系である。
これらは、あえてインストールをしなければならない要素は薄い。
要するに、山のようなインストールという苦役を補ってあまりある魅力向上の訴求要素が、いまやPC周辺には皆無なのだ。
次に、機能的限界について。
上記のようなわけで、簡単には再インストール作業は終わってくれない。仕事を放りだして1日中専念でもすれば別だが。
しかも、時間がかかるが単純作業というのでもない。
自ら購入時のメディアを発見したり、ネットからダウンロードしたりと、煩雑この上ない。
ライセンスは購入しているはずだが、そのメディアが見つからない。
旧ノートPCからライセンスを削除して、新ノートPCでそれをどうインストール、登録すればよいか。
ソフトウェア販売元の資料をたどって確認をしなければならない。
これが、iPhoneやiPadだったらどうだろう?
PCソフトウェア群と違って、デバイスが変わったとしても再インストール作業は、ごく簡単だ。ストレスはない。
それでも、iTunes StoreやAppStoreからの購買には手間な要素が残っている。
だが、標準的なWebブラウザで実行できるクラウド系のサービスだと、インストール自体がそもそも不要だ。
上記したように、Officeや少数の定番パッケージソフトウェアを除くと、手になじんだソフトウェア群はことごとくWebサービス、もしくはWebサービス連動型となっている。CD-ROMなどメディアの管理、インストール作業、そして細かい再設定作業などは不要。
こう整理してくると、私(たち)があんなに大好きだったPCが、こんなに陳腐で、かつ“手間をかけさせる”存在になっていることに、改めて衝撃を覚えざるを得ない。
もちろん、“業務”をそのままiPhone/iPadへと移行するには壁があることは百も承知だ。
しかし、このことは言い換えれば、限定された業務遂行用としてのみPCの命脈は、かろうじて維持されるということでもある。
ビル・ゲイツ氏も、スティーブ・ジョブス氏も、PCが“消滅”することに否定的であるコメントを発している。
だが、本当にそうだろうか? ジョブス氏の場合、PC(自らのMacに対しても)に最終的に引導を渡す役割を果たしていることは間違いない。
デバイスとソフトウェア、それらを統合した体験的快は、もはやPCからは得られなくなっている。
であれば、PCの利用は極力、その運用労力(=苦役)を軽減するのでなければ、将来は暗いだろう。
Googleが考えるChrome OSとそれに最適化された専用ハードウェアのセットが、暫定的な解としてでも機能するのかどうか。
私のひとつの関心事である。